弘前学院聖愛中学高等学校図書館からJ.C.Hepburnと書かれたローマ字聖書が見つかったとのご連絡を同校教諭で本学卒業生の太田淳氏よりいただきました。
写真と太田氏より寄稿された文章をご紹介いたします。

再びヘボンに呼ばれた日
太田淳
私は2026年度に創立140周年を迎えるキリスト教主義学校に勤務しております。
その中で現在、宗教部という分掌の責任者をしております。
宗教部とは学校のキリスト教行事の企画運営をする部門で、その中で私は月2回放送を通じて全校生徒にメッセージを送る番組を担当しています。
ある日、報道でローマ字表記がヘボン式に変更されることを知り、ヘボンのことを紹介しようと思い立ちました。
明治学院のホームページや横浜指路教会の記事を拝見しながら資料の作成にあたりました。
その作成途中で、本校の図書館にも古い聖書があるので、それを写真に撮って生徒に紹介しようと図書館を訪ねました。書庫の奥の金庫を開けてもらい、何冊かの古い本を手に取りました。
そのなかに1冊の朽ちかけた黒革表紙の本がありました。
茶色く色褪せたページを開くと、そこにはローマ字で書かれた聖句がありました。
えっ、もしかして!と、本扉を確認すると、そこにはJ.C.HEPBURNの文字があるではありませんか。
私は誰もいない書庫の中で思わず声をあげ、ぶるぶると震えてしまいました。
この発見によって番組の内容は、ヘボンの紹介とともに、本校にもこんな聖書が残っていたという内容に切り替えました。
番組終了後、様々なことに思いが至りました。
正直、私は明治学院大学への入学は不本意入学でした。
さらに単位が至らず5年間大学に通うことを余儀なくされました。
しかし、それらがあったからこそ今の私があります。
5年目に商業科教育法を履修しました。
担当は石部公男先生でした。
その石部先生が、私が今働いている学校、弘前学院聖愛中学高等学校を紹介してくださいました。
しかも5年目に取った商業科の教員資格がなかったら採用に至りませんでした。
(石部先生も明学OBでいまだに交流があります)
本校の創設者は本多庸一で、J.Hバラから1872年に洗礼を受け、ブラウン塾で学んでいます。
もちろんヘボンとは深い交流があったことでしょう。
ヘボンが創設した学校で学び、ヘボンに薫陶を受けた本多庸一が設立した学校で今、私は働いています。
改めて私の人生はヘボンに支えられてきた人生であることに気づかされました。
ヘボンの聖書を手に取ったあの日、入学以来、再びヘボンに呼ばれたような気がしました。









