実に5年ぶりです。過去は居酒屋で開催していたのですが、今回初めて明学白金キャンバス本館10階大会議場を借りての開催でした。大分変った母校のキャンパスに戻って3時間の会は、各自の近況報告やら昔の写真をプロジェクターで見て、出席していない旧友の現在についての情報交換を行ったりで、懐かしくも楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいました。


昭和23年に創部され、かつて文化団体連合会にあった証券研究会です。本来は伝統的なOB会がありましたが、 平成以降に現役不在となったため、OB会も休止となったようです。
この度、当会74年度生を筆頭に親睦を深めてまいりましたOB有志の集い=『あずま会』を、校友団体として登録させていただきました。 諸先輩方、同胞の皆さん、後輩諸君に於かれましても、改めて集う切欠の一助となれば幸いです。
事務局メールアドレス:meigaku_syouken@yahoo.co.jp
明治学院大学体育会ゴルフ部OB・OG会は明治学院大学校友会へ団体登録いたしました。
これまでも、定期的にOB会活動を実施して参りましたが、OB・OG会新体制への移行を機に、2024年3月1日校友会登録団体として総勢40名のメンバーで発足いたしました。本会はOB同士の親睦を深め、現役選手のサポートを行うことを目的としております。
なお、例年2月頃に開催しておりますOB・OG総会のご案内(メール・郵便)が届いていないご卒業生の方がいらっしゃいましたら、お手数ですが下記メールアドレスまでご連絡を頂戴いたしたく、よろしくお願い申し上げます。その他、ご登録の住所・メールアドレス・電話番号の変更、各種お問い合わせにつきましても、同様に下記メールアドレスへご連絡いただきますよう、よろしくお願いいたします。
事務局メールアドレス: mgu.golf.alumni@gmail.com
当ゼミは、元本学客員教授の中島耕二先生のご指導のもと、2012年4月に活動を開始し、11年6か月が経過しました。その間、J.C.ヘボン博士、S.R.ブラウン博士、G.F.フルベッキ博士、W.インブリー博士、H.ルーミス博士、横浜の女性宣教師たち、J.H.バラ博士、T.T.アレキサンダー博士の各書簡集や伝記類の輪読、フィールド・ワークの適宜な実施、朗読劇の上演、並びにキリスト教史学会大会、外国人居留地研究会全国大会など各研究会に随時参加しながら学習活動を続けてきました。
2020年3月以降はコロナ禍のため休講を余儀なくされていますが、その代替として現在もeメールによる「ゼミ通信」を寄稿し合いながら、中島先生及びゼミ生間のコミュニケ―ションを図りつつ、テンタティブに活動しその方向性を模索しているところです。
この度は、直近の具体的な活動2件についてご報告します。
(その1)
当「校友団体情報」として昨年6月28日付で「中島耕二編『タムソン書簡集』出版記念会に参加」を報告しましたが、そのタムソン宣教師(博士)が設立した日本基督教団「新栄教会」は本年9月20日に創立150周年を迎え、その記念礼拝と行事が下記のとおり行われ、当ゼミからゼミ生3名とその友人1名の計4名が参加しました。
なお、新栄教会は東京に出来た最初のプロテスタント教会で戦前まで築地にありましたが、創立初期には東京一致神学校、築地大学校および東京一致英和学校の多くの教員・学生・生徒、井深梶之助第二代総理の親族も何人も信徒として所属し、明治学院とは深いつながりがありました。
場所:東京都目黒区中町1-6 -16
日時:2023年9月17日(日)10時30分 ~ 14時00分
記念礼拝:説教 キスト岡崎さゆ理宣教師(アメリカ改革教会)
司式 一之木幸男牧師
奏楽 矢野浩一氏
愛餐会+新栄教会小史(パワーポイントによる紹介):中島耕二先生
記念コンサート ~ アイルランド音楽の調べ ~
ティンホイッスル&アイリッシュフルート:安井マリさん
アイリッシュハープ:梅田千晶さん
出席者:62名
【参加して思ったこと、感じたこと】
一之木牧師は本学社会学部の出身で、明るく穏やかな方であり、その働きに同窓生として頼もしく思いました。
キスト岡崎さゆ里宣教師から「人は皆、多かれ少なかれ不安を抱えて生きていて、自分を守ることに一所懸命になり勝ちですが、そのような時こそ、他の人達のために何かできることが、その苦難を乗り越える力、そして国々の光になる。」とお話をされました。(ゼミ生の舎人和子さんの速記録より引用)
まさに“Do for Others”を実践されたヘボン博士、タムソン博士など多くの来日宣教師に改めて感謝の念を抱いた次第です。
愛餐会の中で、中島先生は「新栄教会小史」について、非常に分かり易くご説明され、出席の皆さんは熱心に聞きいっておられました。
記念コンサートは、日本でも古くから親しまれているアイルランド民謡や讃美歌が演奏され、中でも讃美歌312番「いつくしみふかき」は出席者全員で歌い、日々の喧騒を忘れさせる素晴らしいひと時をいただきました。
演奏者は中島先生の知人であり、先生が出演依頼されたとのことですので改めてその交友の広さを認識しました。
「新栄教会」にとっては、先生は重要なお立場であることを理解する共に、記念すべき素晴らしい会にお誘いいただき感謝しております。
(その2)
ヘボン博士は、1859(安政6)年10月のアメリカ長老教会宣教医としてクララ夫人と共に来日し、神奈川成仏寺に3年仮寓したのち1862(文久2)年12月に横浜居留地に転居され、1875(明治8)年9月までの約13年間お住まいになられました。
そのヘボン博士邸跡地には、同博士の多くの功績を称えた「ヘボン博士顕彰碑」(1949(昭和24)年10月建立)があります。
その花植え清掃活動は、毎年ヘボン顕彰会(会長:阿部志郎先生、世話人:島田貫司氏)が主催され、2022(令和4)年10月からはヘボン顕彰碑・愛護会(代表世話人:明治学院同窓会横浜支部長 永井 彪氏)に引き継がれました。
本年度は10月14日(土)に実施され、参加者は20名でした。そのうち、当ゼミは、自由参加として7名(中島先生、ゼミ生2名、ゼミ生のご家族4名)が参加しました。
参加者は、この地にあった「ヘボン塾」が現在の明治学院に発展したこと、生活の糧を得られていることはヘボン博士のお陰であるなど、それぞれ思いを馳せながら、除草、パンジー60苗植え付け作業に勤めました。
作業終了後、中島先生は、ヘボン博士邸やその周辺の貴重な古写真多数を示しながら、当時の様子を説明されました。
【参加して思ったこと、感じたこと】
本年度で花植え清掃活動は74回を迎え、歴代の主催者の労苦を思いながら感謝しています。
今回その労苦を目の当たりにしました。すなわち、花植えの際の水やりや作業後の手洗いのために、主催担当者が「ヘボン顕彰碑」のある横浜合同庁舎に水を工面に訪ねたところ、同庁舎の守衛係から厳しく拒否をされたことです。従って、かなり離れた場所にある「公衆トイレ」までポリバケツを持参し、水を汲んでその目的を収められました。このように協力を得られなかったり、渋られたりしたことは、過去にもあったと耳にしたことがあります。今後、その年によっては同庁舎の協力を得られたり、得られなかったりでは根本的な解決にならないと考えます。
そこで、僭越ではありますが素朴且つ飛躍的な提案があります。明治学院の創立者をヘボン博士としているならば、学校法人明治学院は「『ヘボン博士顕彰碑』のある土地」を購入すべく広くから寄付金を募ったうえで所有し、所有後は学院の管理のもと水道の引き込みも可能となり、且つ中学校から大学まで授業の一環として活用できますので、一考に値するものと考えます。
学校法人同志社は、創立者新島譲にゆかりのある土地を所有のうえ顕彰碑を建立しており、それを拝見したことがあります。
なお、本活動の参加者は毎年約20名前後であり、それも高齢者に偏りがありますので、若者の参加を期待したいと思います。
(世話人:海瀬春雄)
(花植え清掃活動後の「ヘボン博士顕彰碑」)
この度、世界民族音楽研究会OB・OG会として校友団体に登録いたしました。
02SW1004 赤羽根優司
11月3日(金)午後の部に参加致します。
演奏曲の練習日程など詳細につきましてはHPをご覧ください。
増田茂樹先生が 5月9日 永眠されました
享年90歳
先月末 奥様よりご連絡をいただきました
ご冥福をお祈り申し上げます
2022年7月1日
当ゼミは、元本学客員教授の中島耕二先生のご指導のもと、2012年4月に活動を開始し、10年2か月が経過しました。
その間、J.C.ヘボン博士、S.R.ブラウン博士、G.F.フルベッキ博士、W.インブリー博士、H.ルーミス博士、横浜の女性宣教師たち、J.H.バラ博士、T.T.アレキサンダー博士の各書簡集や伝記類の輪読、フィールド・ワークの適宜な実施、朗読劇の上演、並びにキリスト教史学会大会、外国人居留地研究会全国大会など各研究会に随時参加しながら学習活動を続けてきました。
2020年3月以降はコロナ禍のため休講を余儀なくされていますが、その代替として現在は、eメールによる「ゼミ通信」を寄稿し合いながら、中島先生及びゼミ生間のコミュニケ―ションを図りつつ、コロナ禍収束後の活動に備えています。
この度は、「横浜プロテスタント史研究会2022年6月例会(第433回)」において、中島耕二編『タムソン書簡集』出版記念会(講演)が開催され、ゼミ生10名(うち4名はオンライン(Zoom))が参加したので報告させていただきます。
日 時:2022年6月18日(土)14時00分 ~ 16時00分
場 所:日本基督教団 横浜指路教会 会堂
開催方法:対面とオンライン(Zoom)
題 :「タムソン宣教師と日本の近代化」
講 師:中島耕二先生(横浜プロテスタント史研究会世話人、フェリス女学院歴史資料館研究員、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学))
参加者:会堂での出席者26名、オンライン(Zoom)参加者24名、計50名
中島先生はパワーポイントにより、配布資料「タムソン年譜(中島耕二編集)」も参考にしながら詳細に説明をされましたが、ここでは抜粋し主な内容をご報告いたします。
なお、発表後多くの質疑応答がありましたが省略します。
(はじめに)
1.書籍の案内
中島耕二編『タムソン書簡集』(教文館、2022年3月30日、四六判 394頁、定価(本体5,800円+税))
2.『タムソン書簡集』出版の経緯
本書の編集作業は、新栄教会創立140周年(2013年)の翌年5月から書簡集編集委員会委員、書簡集実務会委員、翻訳クループカ ルテットを構成・担当のうえ開始し、書簡の収集・コピー・翻訳・各書簡の内容の見出し作成、詳細な注、目次・年譜およびタ ムソン師や家族写真の使用許可申請など編集作業を進めた。
5年目以降(2018年~)は出席者の体調管理などから、また特に 2020年春から新型コロナウイルスのパンデミックで不要不急の集会自粛環境の中、検証、検索作業が滞りがちになったが、2022 年3月30日に刊行できた。
しかし、出版数日後に新栄教会牧師 本間敏雄氏が召天されましたが、大切な本書をお届けできたことはせめてもの慰めであっ た。
3.タムソンとは
D.タムソン師(博士)(以下、「タムソン」あるいは「デビッド」と言う。)(1835-1915)は、アメリカ長老教会海外伝道局か ら派遣された宣教師である。
幕末の1863年5月に来日し、52年の長きに亘る働きののち日本で生涯を閉じた。
その過程で伝道と日 本の近代化に大きく寄与した。
しかし、J.C.ヘボン博士(以下、「ヘボン」と言う。)、S.R.ブラウン博士(以下、「ブラウン」と言う。)、G.F.フルベッキ 博士(以下、「フルベッキ」と言う。)に比べて世に知られていない。その原因は「語り部」がいなかったからである。
4.本日の報告「タムソン宣教師と日本の近代化」
(本論)
1.生誕から来日
1-1. 先祖
祖父はアメリカ合衆国オハイオ州ハリソン郡の郡長、父デビッドは大規模農場経営者。
母サラ・リーは著名な長老教会牧師ジョン・リーの娘。
1-2.生い立ち
1835年9月21日 オハイオ州ハリソン郡アーチャー(Archer,Harrison Count)で三人兄弟の二男として生まれる。
1-3. ウェスタン神学校
1859年(24歳)オハイオ州ニューアセンズ(New Athens)のフランクリン大学を卒業し、ペンシルベニア州アレゲニー (Allegheny)のウェスタン神学校(現ピッツバーグ神学校)に入学。
1862年(27歳)6月 同神学校卒業。ウエスト・バージニア州の長老教会牧師に就任。
同年海外伝道局に宣教師志願し日本派遣が決まる。
同年11月30日 単身ニューヨーク港を出航。喜望峰経由で上海へ向かう。
2.来日から東京基督公会設立まで
2-1. 第一次横浜時代
1863(文久3)年(28歳)5月18日 神奈川沖到着。
1864(元治元)年(29歳)7月 横浜英学所教師として積分・代数を担当。
1869(明治2)年(34歳)2月 小川義綏(以下、「小川」と言う。)、鈴木鉀次郎および鳥屋だい、の3人に授洗する。
2-2. 上京
1869(明治2)年(34歳)12月 小川夫妻を伴い上京。
築地雑居地入船町に居住。
2-3. 第一次東京時代
1871(明治4)年(36歳)2月 和歌山藩に招待され、小川を伴い10日間滞在。
同藩大参事津田出(又太郎)等に西洋の国政、英米の憲法、宗教等の講義を行う。
同藩に配流中の長崎浦上キリシタン(287人)の苛酷な状況を知る。
帰京後、横浜の英文紙 に配流キリシタン釈放について投稿する。
同年6月17日 ヘボン、C.カロザース(以下、「カロザース」と言う。)およびタムソンの連名で信教の自由に関し、アメリカ政府を通じて日本政府に要求すべしとのアピールをアメリカ長老教会海外伝道局に送付。
同年6月23日 太政官派遣十三大藩海外使節団の通訳兼コンダクターとして横浜出発。
万国福音同盟日本支部を代表し、各国福音同盟会を訪問、日本における信教の自由促進の協力を訴える。
この働きが半年後に米欧を訪問した岩倉使節団への欧州各国 からの圧力となり、切支丹禁制の高札撤去の大きな要因となる。
2-4. 第二次横浜時代
1872(明治5)年(37歳)7月10日 アメリカから横浜に戻る。
病気のJ.H.バラ(以下、「バラ」と言う。)を助けしばらく横浜公会を指導。
同年9月20日~25日 横浜居留地39番ヘボン邸において第一回在日宣教師会議が開催され、聖書の共同訳、超教派主義教会の形成を採択。
2-5. 第二次東京時代
1873(明治6)年(38歳)2月24日 切支丹禁制の高札、撤去される。
同年4月27日 メアリー,C,パーク(以下、「メアリー・パーク」あるいは「メアリー」と言う。)(1841―1927)、初めてのアメリカ長老教会独身女性宣教師(ニューヨーク婦人伝道局派遣)として来日。
同年9月20日 日本基督東京公会(新栄橋教会、新栄教会)創立、仮牧師に就任。
築地居留地17番B号の東京ユニオン・チャーチを借りて礼拝を開始。
フルベッキ日曜学校教師として応援する。
同年12月30日 在日アメリカ長老教会ミッション、中会組織の日本長老公会を設立。
ヘボン、カロザース、H,ルーミス(以下、「ルーミス」と言う。)、E,R,ミラーおよびO,M,グリーンが参加。
タムソンは小会のない中会設立は、本国長老教会規則に 違反していると訴えて不参加。
1874 (明治7)(39歳)1月 メアリー・パークとケイト,M,ヤングマン(以下、ヤングマン」と言う。)が築地居留地六番 B棟で寄宿女学校(女子学院の前身校の一つ)を始める。
同年5月12日 メアリー・パークと結婚。
同年12月8日 タムソン雇人小川に対し東京裁判所から出頭命令書がアメリカ公使館経由届く。
横浜公会信徒伊藤庭竹の葬儀を キリスト教式に行ったことで奥野昌綱(以下、「奥野」と言う。)と小川の二人が起訴され裁判となる。
葬儀、埋葬の自由を 求め裁判所と戦う。
同年12月31日 タムソンの駐日アメリカ公使館通訳官の任命書が届く。
自給宣教師となる。
1875(明治8)年(40歳)1月3日 新島襄、タムソンの求めにより東京公会で説教行う。
同年3月10日 東京公会信徒8名(安川亨、戸田忠厚(以下、「戸田」と言う。)を含む)が、東京第一長老教会に転籍する。
新島襄が東京公会で超教派主義批判の話をした影響による。
同年6月19日 築地雑居地南小田原町三丁目、新栄橋袂に新礼拝堂建設、献堂式行う。
教会名を「新栄橋教会」とする。
ブラ ウン、バラ、フルベッキ(以上改革教会)およびルーミス(長老教会)出席。
1877(明治10)年(42歳)9月17日 日本基督一致教会創立。
アメリカ長老教会、アメリカ・オランダ改革教会、スコットランド一致長老教会の在日ミッションおよび日本基督公会と日本長老公会の合同教会決定。
同年10月3日 日本基督一致教会第一回中会(於:横浜海岸教会)開催。
議長を務める。
奥野、小川、戸田の三人が按手礼受領する。
同年10月7日 築地居留地6番小会堂に東京一致神学校(明治学院神学部前身校)開校。
講師に就任し旧約聖書釈義を担当。
3.直接伝道指導・支援
1882(明治15)年(47歳)11月8日~12月7日 関東北部へ小川、聖書販売人3人を引き連れて長期伝道。
1884(明治17)年(49歳)日本基督一致教会の高知伝道に加わる。高知の初穂となった廣井寅に授洗。
1885(明治18)年(50歳)日本昔噺シリーズ本『桃太郎』、『花咲爺』、『かちかち山』など日本昔噺の6話を英訳。
タムソ ンが洗礼を授けた長谷川武次郎が出版。
1886(明治19)年(51歳)8月 ウースター大学から神学博士号の学位を受ける。
1887(明治20)年(53歳)10月22日 二女マミーがジフテリアに罹り死去する。
享年9歳8ヶ月。
東京染井霊園外人墓地(東京都豊島区駒込5丁目)に埋葬。
1899(明治32)年(65歳)5月 夫妻で石川県金沢地方伝道。
金沢教会、金沢女学校(現北陸学院)で講演。
同年 長女ルース、ウースター大学を卒業し来日。
女子学院教師となる。
のち津田塾で教える。
1900(明治33)年(66歳)角筈衛生園理事を務める。
1901(明治34)年(67歳)三女グレース、ウースター大学を卒業し来日。
女子学院教師となる。
1915(大正4)年(79歳)5月23日 レバノン教会(旧角筈講義所、現高井戸教 会)聖日礼拝説教「信仰生活」のあと体調を崩す。
(むすび)
1915(大正4)年10月29日午後6時30分に召天された。享年80歳であった。
同年11月1日午後1時から宣教師生命をかけて創立した築地新栄教会で葬儀が執行された。
二女マミーの眠る染井霊園外人墓地に埋葬される。
1927(昭和2)年5月17日 妻メアリーが召天された。
享年86歳であった。
夫デビッド、二女マミーと共に染井霊園外人墓地に 埋葬される。
タムソンは、日本における信教の自由促進を訴え、切支丹禁制の高札撤去や葬儀、埋葬の自由に尽力した。
また、日本基督東京公会(現新栄教会)など多くの教会を創立し、日本人牧師を育て多くの教会を誕生させた。
併せて、妻はヤングマンと共に築地居留地六番B棟で寄宿女学校(通称B六番女学校)を開き、長女、三女には女子学院教師に就かせるなど教育面にも力を注いだ。
このようにタムソンは、生涯家族共々日本の近代化に大きく寄与された。
このことを多くの人に知っていただき学ばれることを期待します。
【出版記念会(講演)に参加して理解したこと】
タムソンは、ヘボン、フルベッキなどに比べてあまり活動内容が知られていないために中島先生は、タムソンの生涯を分かり易く紹介されたので良く理解できました。
内容が多岐にわたるので、ここでは一部に留めます。
タムソンは、当初日本において教派を越えた教会の在り方、すなわち超教派主義教会を目指し奔走した。
しかし、切支丹禁制の高札が撤去された後にメソジスト派などの宣教師が多く派遣されてきたため、超教派主義教会の設立は非現実的となった。
そのため長老主義教会だけでも合同を目指そうという議が起こり、1877(明治10)年に長老派は合同して「日本基督一致教会」を創立した。
超教派主義を標榜していたタムソンにとっては満足いくものではなかったが、現実を受け入れその後の伝道活動をされた経緯が理解できた。
【出版記念会(講演)に参加して思ったこと、感じたこと】
中島先生は、ゼミ講義中に本書の編集過程について良くお話をされていました。
この度、念願叶って刊行できたことをゼミ生一同大変嬉しく思っています。
誠におめでとうございます。
先生は、「タムソンは、ヘボン、ブラウン、フルベッキに劣らず研究に値する大きな人物であったことが、調べれば調べるほど分かってきました。
思えば30年も追いかけて来てようやく全貌が見えつつある。」旨申しております。
先生は、若かりし頃にアメリカでの調査研究の過程で現地新聞社から取材を受け、写真付きの記事が掲載された貴重な出来事の一端を今回の講演の場で紹介されました。
このように先生は、ビジネスマン時代から現在に至るまで執念を持ち続け、研究に打ち込まれております。
その姿勢には改めて畏敬の念を抱きました。
本「校友団体情報」欄に「旧古河庭園と染井霊園フィールド・ワークの実施」2013年4月5日付け)を寄稿しております。
今回の講演に参加させていただき、再び染井霊園を訪ねてみたくなりました。
最後になりましたが、この機会を得、明治学院大学校友の中島先生並びに横浜プロテスタント史研究会の世話人代表である岡部一興先生の両先生に深く感謝申し上げます。
誠にありがとうございました。
(世話人:海瀬春雄)
9月25日(土曜日)16:00~18:00 オンラインでOB会役員会を開催しました。
出席者 OBOG 9名 現役 2名
報告事項
①OB会長挨拶 大石OB会長
②全日本学生応援団連盟報告 徳沢連盟常務理事
③全日本学生応援団連盟連盟祭 団長
④同窓会、校友会報告 徳沢同窓会理事
⑤OB会報告 井上OB会幹事長
⑥OB会報状況報告 徳沢総監督
議事
①第56回「白金の集い」(チャリテーショー)
現役(幹事長)から報告
日時 11月7日(日曜日) 14:30~
会場 港区高輪区民センター
昨年との相違点
※主催 昨年 OB会 ⇒ 今年 応援団(現役)
※方式 昨年 事前収録し、当日 会場で放映 ⇒ 今年 会場で実演
但し 緊急事態宣言が発出された場合は事前収録し、当日 会場で放映
※入場者数 100名以内(会場は260名収容)
OB会で事前の予約を取る。当日の申し込み来場は不可
②OB総会 2022年1月8日(土曜日) 時間会場未定
形態 役員10名のみ 対面 他は 書類にて
③幹部交代式 2022年1月8日(土曜日) 時間会場未定
長年、応援団顧問を務めて戴いた小泉智義先生が6月に逝去され 黙祷を捧げました。
当ゼミは、元本学客員教授の中島耕二先生のご指導のもと、2012年4月に活動を開始し、9年4か月が経過しました。その間、J.C.ヘボン博士、S.R.ブラウン博士、G.F.フルベッキ博士、W.インブリー博士、H.ルーミス博士、横浜の女性宣教師たち、J.H.バラ博士、T.T.アレキサンダー博士の各書簡集や伝記類の輪読、フィールド・ワークの適宜な実施、朗読劇の上演、並びにキリスト教史学会大会、外国人居留地研究会全国大会など各研究会に随時参加しながら学習活動を続けてきました。
2020年1月からは、横浜指路教会 教会史編纂委員会編『G・W・ノックス書簡集』(キリスト新聞社、2006年)の輪読をスタートしましたが、同年3月以降コロナ禍のため休講を余儀なくされています。その代替として現在は、eメールによる「ゼミ通信」を寄稿し合いながら、中島先生及びゼミ生間のコミュニケ―ションを図りつつ、コロナ禍収束後の活動に備えています。
この度は、Zoomによるワークショップ「ラトガース大学出身の在日宣教師たち」(ラトガース大学アジア言語文化学科プロジェクト “Rutgers Meets Japan”)に、ゼミ生5名が参加したので報告させていただきます。
日時:2021年8月5日(木)13時00分 ~ 16時40分
開催方法:オンライン(Zoom) ※フェリス女学院歴史資料館から中継
講師:中島耕二先生(フェリス女学院歴史資料館研究員)
辻直人先生(和光大学現代人間学部教授)
小檜山ルイ先生(東京女子大学現代教養学部教授)
司会:若林晴子先生(ラトガース大学アジア言語文化学科助教授)
参加者:61名
スケジュール:
13:00 ~ 若林晴子先生 趣旨説明
13:10 ~ 中島耕二先生
ラトガース大学の卒業生の日本における系譜とその働き(前半)
― バラ、スタウト、ブース、ワイコフ、デマレスト
14:00 ~ 辻直人先生
ラトガース大学の卒業生の日本における系譜とその働き(後半)
― ハリス、スカッダー、シェーファー、ダルイー、シェンク
15:15 ~ 小檜山ルイ先生
E.S.ブースとフェリス・セミナリの教育
16:15 ~ 全体質疑
16:40 終了
内容が多岐にわたりますので、中島耕二先生と辻直人先生による「ラトガース大学の卒業生の日本における系譜とその働き」(前半、後半)に限定して報告いたします。また、講演内容は項目のみとし、質疑応答内容についても省略します。
(中島耕二先生)
テーマ:ラトガース大学の卒業生の日本における系譜とその働き(前半)
<はじめに>
・ラトガース大学の所在地 ・私のラトガース・コレクション ・最初の5人のラトガース大学卒業来日宣教師 ・初期来日ニューブランズウィック(NBW)神学校卒業生
<本論>
J.Hバラ
・10人兄弟姉妹の二男 ・出自 ・初代ラトガース大学OB来日宣教師 ・草鞋履き開拓伝道 ・直接伝道のパイオニア
H.スタウト
・スタウトの来日まで ・長崎ステーション ・神学教育と九州伝道 ・神学部の盛衰・失意と帰国、晩年 ・在日中の奉仕
E.S.ブース
・出自 ・長崎・横浜・帰国 ・長老教会の出身
M.N.ワイコフ
・第一次来日まで ・お雇い教師時代 ・教育宣教師として来日 ・宣教師としての働き
N.H.デマレスト
・来日まで ・神学教育 ・帰国後本国で牧師 ・再来日と挫折
<5人のまとめ>
1.5人とも農家出身、M.N.ワイコフとN.H.デマレストは富農の出身。長老教会来日宣教師は職業家庭(医師、弁護士、牧師、政治家など)出身者が多いのと対照的。
2.任務は伝道と教育に集中している。
3.政治的活動は行わず、宗派には寛容である。彼らの個性的・自由度が高い伝道活動は、 日本の教会形成に大きな思想的影響を与えた。
(辻直人先生)
テーマ:ラトガース大学の卒業生の日本のおける系譜とその働き(後半)
<はじめに>
・改革教会来日宣教師の概要 ・宣教地の拡大(北日本ステーション、南日本ステーション) ・初任地別宣教師数推移など。最初の5人のラトガース大学卒業来日宣教師につぐ5人を紹介。
<本論> 以下の5人の宣教師を説明
H.ハリス 在日21年
F.S.スカッダー 在日10年
L.J.シェーファー 在日26年
E.C.ダルイー 在日5年
H.W.シェンク 在日7年
<おわりに>
1.5人の宣教師の日本での宣教活動は、初期来日宣教師の在日年数に比べ相対的に短い。
2.L.J.シェーファーは、戦前から教会や学校で宣教活動をしており、戦後においても引き続き復興活動をしている。
3.日本での宣教活動を終え、帰国後における米国での活動は米国オランダ改革教会に拘っていない。
4.日本とラトガース大学とのキリスト教を介した関わりは、L.J.シェーファーの働きを 除き、戦前出身者では1923年に来日したE.C.ダルイー以降はいない。
5.彼等にとって、日本宣教活動をどのように経験し、何を得たであろうか?今後の研究課題としたい。
【ワークショップに参加して理解したこと】
米国オランダ改革教会ミッションが1859年から1939年までに派遣した来日宣教師の内訳は、男性宣教師43人、同夫人34人、女性宣教師53人、不明2の計132人であった。そのうち、今回のワークショップで取り上げられたラトガース大学出身者の宣教師は男性10人である。
同宣教師たちの任務は伝道と教育に集中していた。その10人のうち7人は、明治学院(前身校を含む)にゆかりがあることを学んだ。その7人を紹介いたします。なお、後段3人の存在は今回初めて知りました。
J.H.バラ(バラ塾、植村正久、山本秀煌、熊野雄七らに授洗、横浜先志学校主宰、明治学院理事)
H.スタウト(スタウト塾、瀬川浅、留川一路らに授洗、東山学院創立)
M.N.ワイコフ(横浜先志学校校長、東京一致英和学校教授、英和予備校教授、明治学院 普通学部教授)
H.ハリス(東京一致英和学校教授、英和予備校教授、明治学院普通学部教授)
F.S.スカッダー(明治学院高等学部・神学部教授)
L.J.シェーファー(明治学院神学部・高等学部教授)
E.C.ダルイー(明治学院中学部・高等学部・高等商業部教授)
【ワークショップに参加して思ったこと、感じたこと】
講師をされた中島耕二先生及び辻直人先生は明治学院大学OBであり、頼もしく思いながら拝聴させていただきました。そして、オンライン(Zoom )講演という制約の中、貴重な 内容を分かり易く教授していただき非常に勉強になりました。
上記7人の宣教師は明治学院の礎を築かれた大恩人であり、現在も母校で学びの機会与えていただき「人の道を学べる」ことは、宣教師の皆様のお陰であると感謝しております。
しかし、一本学卒業生として次のように素朴な疑問を抱きました。
《今回の同プロジェクトに本学院として共催あるいは後援を何故されなかったかです。ワークショップの内容の多くは、明治学院に関わる内容でした。》
最後になりましたが、コロナ禍にも拘わらずこの機会を得、中島耕二先生及び辻直人先生はじめとした各先生並びにフェリス女学院歴史資料館の皆様に感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
(世話人:海瀬春雄)
ラトガース大学、ワークショップフライヤー(ワークショップのお知らせ)