学友団体

中島耕二ゼミ「ヘボンの手紙を読もう会」中島耕二編『タムソン書簡集』出版記念会に参加

当ゼミは、元本学客員教授の中島耕二先生のご指導のもと、2012年4月に活動を開始し、10年2か月が経過しました。
その間、J.C.ヘボン博士、S.R.ブラウン博士、G.F.フルベッキ博士、W.インブリー博士、H.ルーミス博士、横浜の女性宣教師たち、J.H.バラ博士、T.T.アレキサンダー博士の各書簡集や伝記類の輪読、フィールド・ワークの適宜な実施、朗読劇の上演、並びにキリスト教史学会大会、外国人居留地研究会全国大会など各研究会に随時参加しながら学習活動を続けてきました。
2020年3月以降はコロナ禍のため休講を余儀なくされていますが、その代替として現在は、eメールによる「ゼミ通信」を寄稿し合いながら、中島先生及びゼミ生間のコミュニケ―ションを図りつつ、コロナ禍収束後の活動に備えています。

この度は、「横浜プロテスタント史研究会2022年6月例会(第433回)」において、中島耕二編『タムソン書簡集』出版記念会(講演)が開催され、ゼミ生10名(うち4名はオンライン(Zoom))が参加したので報告させていただきます。

日 時:2022年6月18日(土)14時00分 ~ 16時00分
場 所:日本基督教団 横浜指路教会 会堂
開催方法:対面とオンライン(Zoom)
題  :「タムソン宣教師と日本の近代化」
講 師:中島耕二先生(横浜プロテスタント史研究会世話人、フェリス女学院歴史資料館研究員、元明治学院大学客員教授、東北大学博士(文学))
参加者:会堂での出席者26名、オンライン(Zoom)参加者24名、計50名

中島先生はパワーポイントにより、配布資料「タムソン年譜(中島耕二編集)」も参考にしながら詳細に説明をされましたが、ここでは抜粋し主な内容をご報告いたします。
なお、発表後多くの質疑応答がありましたが省略します。

(はじめに)
1.書籍の案内
中島耕二編『タムソン書簡集』(教文館、2022年3月30日、四六判 394頁、定価(本体5,800円+税))
2.『タムソン書簡集』出版の経緯
本書の編集作業は、新栄教会創立140周年(2013年)の翌年5月から書簡集編集委員会委員、書簡集実務会委員、翻訳クループカ ルテットを構成・担当のうえ開始し、書簡の収集・コピー・翻訳・各書簡の内容の見出し作成、詳細な注、目次・年譜およびタ ムソン師や家族写真の使用許可申請など編集作業を進めた。
5年目以降(2018年~)は出席者の体調管理などから、また特に 2020年春から新型コロナウイルスのパンデミックで不要不急の集会自粛環境の中、検証、検索作業が滞りがちになったが、2022 年3月30日に刊行できた。
しかし、出版数日後に新栄教会牧師 本間敏雄氏が召天されましたが、大切な本書をお届けできたことはせめてもの慰めであっ た。
3.タムソンとは
D.タムソン師(博士)(以下、「タムソン」あるいは「デビッド」と言う。)(1835-1915)は、アメリカ長老教会海外伝道局か ら派遣された宣教師である。
幕末の1863年5月に来日し、52年の長きに亘る働きののち日本で生涯を閉じた。
その過程で伝道と日 本の近代化に大きく寄与した。
しかし、J.C.ヘボン博士(以下、「ヘボン」と言う。)、S.R.ブラウン博士(以下、「ブラウン」と言う。)、G.F.フルベッキ 博士(以下、「フルベッキ」と言う。)に比べて世に知られていない。その原因は「語り部」がいなかったからである。

4.本日の報告「タムソン宣教師と日本の近代化」
(本論)
1.生誕から来日
1-1. 先祖
祖父はアメリカ合衆国オハイオ州ハリソン郡の郡長、父デビッドは大規模農場経営者。
母サラ・リーは著名な長老教会牧師ジョン・リーの娘。
1-2.生い立ち
1835年9月21日 オハイオ州ハリソン郡アーチャー(Archer,Harrison Count)で三人兄弟の二男として生まれる。
1-3. ウェスタン神学校
 1859年(24歳)オハイオ州ニューアセンズ(New Athens)のフランクリン大学を卒業し、ペンシルベニア州アレゲニー (Allegheny)のウェスタン神学校(現ピッツバーグ神学校)に入学。
1862年(27歳)6月 同神学校卒業。ウエスト・バージニア州の長老教会牧師に就任。
同年海外伝道局に宣教師志願し日本派遣が決まる。
同年11月30日 単身ニューヨーク港を出航。喜望峰経由で上海へ向かう。

2.来日から東京基督公会設立まで
2-1. 第一次横浜時代
1863(文久3)年(28歳)5月18日 神奈川沖到着。
1864(元治元)年(29歳)7月 横浜英学所教師として積分・代数を担当。
1869(明治2)年(34歳)2月 小川義綏(以下、「小川」と言う。)、鈴木鉀次郎および鳥屋だい、の3人に授洗する。
2-2. 上京
1869(明治2)年(34歳)12月 小川夫妻を伴い上京。
築地雑居地入船町に居住。

2-3. 第一次東京時代
1871(明治4)年(36歳)2月 和歌山藩に招待され、小川を伴い10日間滞在。
同藩大参事津田出(又太郎)等に西洋の国政、英米の憲法、宗教等の講義を行う。
同藩に配流中の長崎浦上キリシタン(287人)の苛酷な状況を知る。
帰京後、横浜の英文紙 に配流キリシタン釈放について投稿する。
同年6月17日 ヘボン、C.カロザース(以下、「カロザース」と言う。)およびタムソンの連名で信教の自由に関し、アメリカ政府を通じて日本政府に要求すべしとのアピールをアメリカ長老教会海外伝道局に送付。
同年6月23日 太政官派遣十三大藩海外使節団の通訳兼コンダクターとして横浜出発。
万国福音同盟日本支部を代表し、各国福音同盟会を訪問、日本における信教の自由促進の協力を訴える。
この働きが半年後に米欧を訪問した岩倉使節団への欧州各国 からの圧力となり、切支丹禁制の高札撤去の大きな要因となる。
2-4. 第二次横浜時代
1872(明治5)年(37歳)7月10日 アメリカから横浜に戻る。
病気のJ.H.バラ(以下、「バラ」と言う。)を助けしばらく横浜公会を指導。
同年9月20日~25日 横浜居留地39番ヘボン邸において第一回在日宣教師会議が開催され、聖書の共同訳、超教派主義教会の形成を採択。
2-5. 第二次東京時代
1873(明治6)年(38歳)2月24日 切支丹禁制の高札、撤去される。
同年4月27日 メアリー,C,パーク(以下、「メアリー・パーク」あるいは「メアリー」と言う。)(1841―1927)、初めてのアメリカ長老教会独身女性宣教師(ニューヨーク婦人伝道局派遣)として来日。
同年9月20日 日本基督東京公会(新栄橋教会、新栄教会)創立、仮牧師に就任。
築地居留地17番B号の東京ユニオン・チャーチを借りて礼拝を開始。
フルベッキ日曜学校教師として応援する。
同年12月30日 在日アメリカ長老教会ミッション、中会組織の日本長老公会を設立。
ヘボン、カロザース、H,ルーミス(以下、「ルーミス」と言う。)、E,R,ミラーおよびO,M,グリーンが参加。
タムソンは小会のない中会設立は、本国長老教会規則に 違反していると訴えて不参加。
1874 (明治7)(39歳)1月 メアリー・パークとケイト,M,ヤングマン(以下、ヤングマン」と言う。)が築地居留地六番 B棟で寄宿女学校(女子学院の前身校の一つ)を始める。
同年5月12日 メアリー・パークと結婚。
同年12月8日 タムソン雇人小川に対し東京裁判所から出頭命令書がアメリカ公使館経由届く。
横浜公会信徒伊藤庭竹の葬儀を キリスト教式に行ったことで奥野昌綱(以下、「奥野」と言う。)と小川の二人が起訴され裁判となる。
葬儀、埋葬の自由を 求め裁判所と戦う。
同年12月31日 タムソンの駐日アメリカ公使館通訳官の任命書が届く。
自給宣教師となる。
1875(明治8)年(40歳)1月3日 新島襄、タムソンの求めにより東京公会で説教行う。
同年3月10日 東京公会信徒8名(安川亨、戸田忠厚(以下、「戸田」と言う。)を含む)が、東京第一長老教会に転籍する。
新島襄が東京公会で超教派主義批判の話をした影響による。
同年6月19日 築地雑居地南小田原町三丁目、新栄橋袂に新礼拝堂建設、献堂式行う。
教会名を「新栄橋教会」とする。
ブラ ウン、バラ、フルベッキ(以上改革教会)およびルーミス(長老教会)出席。
1877(明治10)年(42歳)9月17日 日本基督一致教会創立。
アメリカ長老教会、アメリカ・オランダ改革教会、スコットランド一致長老教会の在日ミッションおよび日本基督公会と日本長老公会の合同教会決定。
同年10月3日 日本基督一致教会第一回中会(於:横浜海岸教会)開催。
議長を務める。
奥野、小川、戸田の三人が按手礼受領する。
同年10月7日 築地居留地6番小会堂に東京一致神学校(明治学院神学部前身校)開校。
講師に就任し旧約聖書釈義を担当。

3.直接伝道指導・支援
1882(明治15)年(47歳)11月8日~12月7日 関東北部へ小川、聖書販売人3人を引き連れて長期伝道。
1884(明治17)年(49歳)日本基督一致教会の高知伝道に加わる。高知の初穂となった廣井寅に授洗。
1885(明治18)年(50歳)日本昔噺シリーズ本『桃太郎』、『花咲爺』、『かちかち山』など日本昔噺の6話を英訳。
タムソ ンが洗礼を授けた長谷川武次郎が出版。
1886(明治19)年(51歳)8月 ウースター大学から神学博士号の学位を受ける。
1887(明治20)年(53歳)10月22日 二女マミーがジフテリアに罹り死去する。
享年9歳8ヶ月。
東京染井霊園外人墓地(東京都豊島区駒込5丁目)に埋葬。
1899(明治32)年(65歳)5月 夫妻で石川県金沢地方伝道。
金沢教会、金沢女学校(現北陸学院)で講演。
同年 長女ルース、ウースター大学を卒業し来日。
女子学院教師となる。
のち津田塾で教える。
1900(明治33)年(66歳)角筈衛生園理事を務める。
1901(明治34)年(67歳)三女グレース、ウースター大学を卒業し来日。
女子学院教師となる。
 1915(大正4)年(79歳)5月23日 レバノン教会(旧角筈講義所、現高井戸教 会)聖日礼拝説教「信仰生活」のあと体調を崩す。

(むすび)
1915(大正4)年10月29日午後6時30分に召天された。享年80歳であった。
同年11月1日午後1時から宣教師生命をかけて創立した築地新栄教会で葬儀が執行された。
二女マミーの眠る染井霊園外人墓地に埋葬される。
1927(昭和2)年5月17日 妻メアリーが召天された。
享年86歳であった。
夫デビッド、二女マミーと共に染井霊園外人墓地に 埋葬される。

タムソンは、日本における信教の自由促進を訴え、切支丹禁制の高札撤去や葬儀、埋葬の自由に尽力した。
また、日本基督東京公会(現新栄教会)など多くの教会を創立し、日本人牧師を育て多くの教会を誕生させた。
併せて、妻はヤングマンと共に築地居留地六番B棟で寄宿女学校(通称B六番女学校)を開き、長女、三女には女子学院教師に就かせるなど教育面にも力を注いだ。
このようにタムソンは、生涯家族共々日本の近代化に大きく寄与された。
このことを多くの人に知っていただき学ばれることを期待します。

【出版記念会(講演)に参加して理解したこと】
タムソンは、ヘボン、フルベッキなどに比べてあまり活動内容が知られていないために中島先生は、タムソンの生涯を分かり易く紹介されたので良く理解できました。
内容が多岐にわたるので、ここでは一部に留めます。
タムソンは、当初日本において教派を越えた教会の在り方、すなわち超教派主義教会を目指し奔走した。
しかし、切支丹禁制の高札が撤去された後にメソジスト派などの宣教師が多く派遣されてきたため、超教派主義教会の設立は非現実的となった。
そのため長老主義教会だけでも合同を目指そうという議が起こり、1877(明治10)年に長老派は合同して「日本基督一致教会」を創立した。
超教派主義を標榜していたタムソンにとっては満足いくものではなかったが、現実を受け入れその後の伝道活動をされた経緯が理解できた。

【出版記念会(講演)に参加して思ったこと、感じたこと】
中島先生は、ゼミ講義中に本書の編集過程について良くお話をされていました。
この度、念願叶って刊行できたことをゼミ生一同大変嬉しく思っています。
誠におめでとうございます。
先生は、「タムソンは、ヘボン、ブラウン、フルベッキに劣らず研究に値する大きな人物であったことが、調べれば調べるほど分かってきました。
思えば30年も追いかけて来てようやく全貌が見えつつある。」旨申しております。
先生は、若かりし頃にアメリカでの調査研究の過程で現地新聞社から取材を受け、写真付きの記事が掲載された貴重な出来事の一端を今回の講演の場で紹介されました。
このように先生は、ビジネスマン時代から現在に至るまで執念を持ち続け、研究に打ち込まれております。
その姿勢には改めて畏敬の念を抱きました。
本「校友団体情報」欄に「旧古河庭園と染井霊園フィールド・ワークの実施」2013年4月5日付け)を寄稿しております。
今回の講演に参加させていただき、再び染井霊園を訪ねてみたくなりました。
最後になりましたが、この機会を得、明治学院大学校友の中島先生並びに横浜プロテスタント史研究会の世話人代表である岡部一興先生の両先生に深く感謝申し上げます。
誠にありがとうございました。
(世話人:海瀬春雄)

(横浜指路教会 会堂)
(横浜指路教会 会堂)
(題:「タムソン宣教師と日本の近代化」)
(題:「タムソン宣教師と日本の近代化」)

応援団OB会役員会

9月25日(土曜日)16:00~18:00 オンラインでOB会役員会を開催しました。

出席者 OBOG 9名 現役 2名

報告事項

①OB会長挨拶        大石OB会長

②全日本学生応援団連盟報告  徳沢連盟常務理事

③全日本学生応援団連盟連盟祭 団長

④同窓会、校友会報告     徳沢同窓会理事

⑤OB会報告         井上OB会幹事長

⑥OB会報状況報告      徳沢総監督

議事

①第56回「白金の集い」(チャリテーショー)

現役(幹事長)から報告

日時 11月7日(日曜日) 14:30~

会場 港区高輪区民センター

昨年との相違点

※主催 昨年 OB会 ⇒ 今年 応援団(現役)

※方式 昨年 事前収録し、当日 会場で放映  ⇒ 今年 会場で実演

 但し 緊急事態宣言が発出された場合は事前収録し、当日  会場で放映

※入場者数 100名以内(会場は260名収容)

 OB会で事前の予約を取る。当日の申し込み来場は不可

②OB総会  2022年1月8日(土曜日) 時間会場未定

       形態 役員10名のみ 対面 他は 書類にて

③幹部交代式 2022年1月8日(土曜日) 時間会場未定

 

長年、応援団顧問を務めて戴いた小泉智義先生が6月に逝去され 黙祷を捧げました。

   PXL_20210925_090334736

 

中島耕二ゼミ「ヘボンの手紙を読もう会」ワークショップ「ラトガース大学出身の在日宣教師たち」に参加

当ゼミは、元本学客員教授の中島耕二先生のご指導のもと、2012年4月に活動を開始し、9年4か月が経過しました。その間、J.C.ヘボン博士、S.R.ブラウン博士、G.F.フルベッキ博士、W.インブリー博士、H.ルーミス博士、横浜の女性宣教師たち、J.H.バラ博士、T.T.アレキサンダー博士の各書簡集や伝記類の輪読、フィールド・ワークの適宜な実施、朗読劇の上演、並びにキリスト教史学会大会、外国人居留地研究会全国大会など各研究会に随時参加しながら学習活動を続けてきました。
2020年1月からは、横浜指路教会 教会史編纂委員会編『G・W・ノックス書簡集』(キリスト新聞社、2006年)の輪読をスタートしましたが、同年3月以降コロナ禍のため休講を余儀なくされています。その代替として現在は、eメールによる「ゼミ通信」を寄稿し合いながら、中島先生及びゼミ生間のコミュニケ―ションを図りつつ、コロナ禍収束後の活動に備えています。

この度は、Zoomによるワークショップ「ラトガース大学出身の在日宣教師たち」(ラトガース大学アジア言語文化学科プロジェクト “Rutgers Meets Japan”)に、ゼミ生5名が参加したので報告させていただきます。

日時:2021年8月5日(木)13時00分 ~ 16時40分
開催方法:オンライン(Zoom) ※フェリス女学院歴史資料館から中継
講師:中島耕二先生(フェリス女学院歴史資料館研究員)
   辻直人先生(和光大学現代人間学部教授)
   小檜山ルイ先生(東京女子大学現代教養学部教授)
司会:若林晴子先生(ラトガース大学アジア言語文化学科助教授)
参加者:61名

スケジュール:
13:00 ~ 若林晴子先生 趣旨説明
13:10 ~ 中島耕二先生
    ラトガース大学の卒業生の日本における系譜とその働き(前半)
    ― バラ、スタウト、ブース、ワイコフ、デマレスト
14:00 ~ 辻直人先生
    ラトガース大学の卒業生の日本における系譜とその働き(後半)
    ― ハリス、スカッダー、シェーファー、ダルイー、シェンク
15:15 ~ 小檜山ルイ先生
    E.S.ブースとフェリス・セミナリの教育
16:15 ~ 全体質疑
16:40   終了

内容が多岐にわたりますので、中島耕二先生と辻直人先生による「ラトガース大学の卒業生の日本における系譜とその働き」(前半、後半)に限定して報告いたします。また、講演内容は項目のみとし、質疑応答内容についても省略します。

(中島耕二先生)
テーマ:ラトガース大学の卒業生の日本における系譜とその働き(前半)
<はじめに>
・ラトガース大学の所在地 ・私のラトガース・コレクション ・最初の5人のラトガース大学卒業来日宣教師 ・初期来日ニューブランズウィック(NBW)神学校卒業生
<本論>
J.Hバラ
・10人兄弟姉妹の二男 ・出自 ・初代ラトガース大学OB来日宣教師 ・草鞋履き開拓伝道 ・直接伝道のパイオニア
H.スタウト
・スタウトの来日まで ・長崎ステーション ・神学教育と九州伝道 ・神学部の盛衰・失意と帰国、晩年 ・在日中の奉仕
E.S.ブース
・出自 ・長崎・横浜・帰国 ・長老教会の出身
M.N.ワイコフ
・第一次来日まで ・お雇い教師時代 ・教育宣教師として来日 ・宣教師としての働き
N.H.デマレスト
・来日まで ・神学教育 ・帰国後本国で牧師 ・再来日と挫折
<5人のまとめ>
1.5人とも農家出身、M.N.ワイコフとN.H.デマレストは富農の出身。長老教会来日宣教師は職業家庭(医師、弁護士、牧師、政治家など)出身者が多いのと対照的。
2.任務は伝道と教育に集中している。
3.政治的活動は行わず、宗派には寛容である。彼らの個性的・自由度が高い伝道活動は、 日本の教会形成に大きな思想的影響を与えた。

(辻直人先生)
テーマ:ラトガース大学の卒業生の日本のおける系譜とその働き(後半)
<はじめに>
・改革教会来日宣教師の概要 ・宣教地の拡大(北日本ステーション、南日本ステーション) ・初任地別宣教師数推移など。最初の5人のラトガース大学卒業来日宣教師につぐ5人を紹介。
<本論> 以下の5人の宣教師を説明
H.ハリス 在日21年
F.S.スカッダー 在日10年
L.J.シェーファー 在日26年
E.C.ダルイー 在日5年
H.W.シェンク 在日7年
<おわりに>
1.5人の宣教師の日本での宣教活動は、初期来日宣教師の在日年数に比べ相対的に短い。
2.L.J.シェーファーは、戦前から教会や学校で宣教活動をしており、戦後においても引き続き復興活動をしている。
3.日本での宣教活動を終え、帰国後における米国での活動は米国オランダ改革教会に拘っていない。
4.日本とラトガース大学とのキリスト教を介した関わりは、L.J.シェーファーの働きを 除き、戦前出身者では1923年に来日したE.C.ダルイー以降はいない。
5.彼等にとって、日本宣教活動をどのように経験し、何を得たであろうか?今後の研究課題としたい。

【ワークショップに参加して理解したこと】
米国オランダ改革教会ミッションが1859年から1939年までに派遣した来日宣教師の内訳は、男性宣教師43人、同夫人34人、女性宣教師53人、不明2の計132人であった。そのうち、今回のワークショップで取り上げられたラトガース大学出身者の宣教師は男性10人である。
同宣教師たちの任務は伝道と教育に集中していた。その10人のうち7人は、明治学院(前身校を含む)にゆかりがあることを学んだ。その7人を紹介いたします。なお、後段3人の存在は今回初めて知りました。
  J.H.バラ(バラ塾、植村正久、山本秀煌、熊野雄七らに授洗、横浜先志学校主宰、明治学院理事)
 H.スタウト(スタウト塾、瀬川浅、留川一路らに授洗、東山学院創立)
 M.N.ワイコフ(横浜先志学校校長、東京一致英和学校教授、英和予備校教授、明治学院 普通学部教授)
 H.ハリス(東京一致英和学校教授、英和予備校教授、明治学院普通学部教授)
 F.S.スカッダー(明治学院高等学部・神学部教授)
 L.J.シェーファー(明治学院神学部・高等学部教授)
 E.C.ダルイー(明治学院中学部・高等学部・高等商業部教授)

【ワークショップに参加して思ったこと、感じたこと】
講師をされた中島耕二先生及び辻直人先生は明治学院大学OBであり、頼もしく思いながら拝聴させていただきました。そして、オンライン(Zoom )講演という制約の中、貴重な 内容を分かり易く教授していただき非常に勉強になりました。
上記7人の宣教師は明治学院の礎を築かれた大恩人であり、現在も母校で学びの機会与えていただき「人の道を学べる」ことは、宣教師の皆様のお陰であると感謝しております。
しかし、一本学卒業生として次のように素朴な疑問を抱きました。
《今回の同プロジェクトに本学院として共催あるいは後援を何故されなかったかです。ワークショップの内容の多くは、明治学院に関わる内容でした。》
最後になりましたが、コロナ禍にも拘わらずこの機会を得、中島耕二先生及び辻直人先生はじめとした各先生並びにフェリス女学院歴史資料館の皆様に感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
(世話人:海瀬春雄)

ラトガース大学、ワークショップフライヤー(ワークショップのお知らせ)

 

応援団OB会 2021年度第1回役員会

6月6日(日曜日)18:30~ OB会役員会を行いました。

出席者 8名

内容

①OB会長挨拶

②総監督報告 ※コロナ禍での大学の状況、学生の活動

       ※全日本大学応援団連盟報告

③各部監督報告 リーダー部、チアリーディング部、ブラスバンド部
                                 ※今年の新入生入部、活動計画

④3月に開催された チャリティーショー「第55回白金の集い」会計報告
                                           (事前収録し、上映)

⑤2021年度 「第56回白金の集い」について

⑥応援団OB会報 第27号について

就労しているOB、OGは仕事でオンラインは常識になっており 、又、仕事をしていないOBも、パソコンやスマホを使用していれば容易に入る事ができ、オンライン会議に参加できました。

会議終了後の飲食・歓談が楽しみなので、寂しいというOBもいれば

移動時間が無いので、オンラインが良いというOB、OGもいました。

                       投稿 徳沢幸人 1973年卒

PXL_20210606_094701903.MP (002)

 

 

 

村田玲音大学学長による新年講演 YouTubeで配信のご案内

明治学院同窓会では、毎年「新年礼拝と交流会」を開催しておりますが、今年度はコロナ禍にあり、例年のように行うことができないため、「新年礼拝と学長講演」として録画し、YouTube配信でみなさまにお届けすることにいたしました。
なかなか白金の丘に来られない方々も含め、ぜひ多くの方々にご覧いただきたく、ご案内いたします。
詳しくはこちらをご覧ください。

2020年樹鵬会開催延期

2020年11月15日(日)に予定されておりました、

2020年 第54回 樹鵬会総会は増田先生とご相談の上延期といたしました。

開催が決まりましたらまた、皆さまにお知らせいたします。

樹鵬会会長 大塚

中島耕二ゼミ「ヘボンの手紙を読もう会」横浜プロテスタント史研究会例会に参加

当ゼミは、元本学客員教授の中島耕二先生のご指導のもと、2012年4月に活動を開始し、7年10か月が経過しました。その間、J.C.ヘボン博士、S.R.ブラウン博士、G.F.フルベッキ博士、W.インブリー博士、H.ルーミス博士、横浜の女性宣教師たち、J.H.バラ博士、T.T.アレキサンダー博士の各書簡集あるいは伝記類の輪読、フィールド・ワークの適宜な実施、朗読劇の上演、並びにキリスト教史学会大会、外国人居留地研究会全国大会など各研究会に随時参加しながら学習活動をしてきました。
1月からは、横浜指路教会教会史編纂委員会編『G・W・ノックス書簡集』(キリスト新聞社、2006年)を輪読しております。

今回はゼミの一環として、中島先生が発表された「横浜プロテスタント史研究会2020年2月例会(421回)」に、ゼミ生5名が参加したので報告させていただきます。

日 時:2020(令和2)年2月15日(土)14:00 ~ 16:00
場 所:横浜指路教会1階会議室
題  :「横浜指路教会第二代仮牧師 ジョージ・ウイリアム・ノックス」
講 師:中島耕二 横浜プロテスタント史研究会会員、元明治学院大学客員教授、東北大学 博士(文学)
参加者:約30名

中島先生はパワーポイントに基づき、配布された先生編集「同宣教師年表」と『福音新報』(抜粋)なども参照しながら説明をされましたが、ここでは項目(はじめに、本論、むすび)を抜粋し、その骨子をご報告いたします。
なお、発表後多くの質疑応答がありましたが、ここでは省略いたします。

(はじめに)
G・W・ノックス宣教師は、1853年8月11日にアメリカ・ニューヨーク州ロームで生まれた。祖父は成功した実業家・銀行家、父は長老教会の有力牧師であった。ハミルトン大学(当時、祖父が理事長)、オーバン神学校で学び、1877年に同校を卒業と同時にMiss Anna Caroline Holmes(1851~1942)と結婚し、按手礼を受領のうえ日本派遣宣教師となって同年9月29日にサンフランシスコ港を出航した。

(本論)
在日宣教師時代(1)
 ・1877年10月20日 ノックス夫妻横浜到着 横浜居留地39番居住
 ・1877年~1880年 横浜バラ学校教師
 ・1877年~1881年 住吉町教会仮牧師
 ・1881年~1882年 築地大学校英語教授 築地居留地27番居住
 ・1883年~1886年 東京一致神学校英語神学部教授 説教学、基督教証拠論
 ・1883年 朝鮮人最初のプロテスタント信者となった李樹廷を指導、韓国視察旅行
 ・1883年11月30日 ミラー夫妻と高知伝道
 ・1884年3月13日 ブライアン夫妻と高知伝道
 ・1885年5月15日 高知教会設立式洗礼執行 片岡健吉、坂本直寛、原保太郎、西森拙三ら男子7名、女子6名に授洗

在日宣教師時代(2)
 ・1886年 帝国大学哲学、倫理学および心理学講師
 ・1886年 明治学院創立理事会議長、白金校地決定に賛成意見
 ・1887年 明治学院神学部教授 論理学、組織神学、哲学史を担当
 ・1889年 第一回夏期学校(同志社)講演「三位一体の説」、「生命の説」
 ・1890年 第二回夏期学校(明治学院)講演「贖罪論」、「現今の神学」
 ・1890年5月17日 一高対明治学院野球試合観戦中「インブリー事件」に立ち会う
 ・1891年 明治学院理事員会代表
 ・1893年 高知大挙伝道参加、6月19日宣教師を辞任しアメリカに帰国

アメリカ帰国後
 ・1893年6月19日 横浜出航、アメリカ帰国
 ・1894年12月 ニューヨーク州Ray Presbyterian Church仮牧師
 ・1895年12月 同教会牧師
 ・1896年 ユニオン神学校講師、弁証論担当
 ・1899年2月 Ray教会牧師辞任
 ・同年ユニオン神学校教授、哲学・宗教史・海外伝道担当
 ・1903年 Yale大学講師兼任
 ・1906年 ユニオン神学校校長代行
 ・1911年11月 神学校主催東洋伝道地視察旅行出発
 ・1912年4月25日 ソウル、朝鮮で肺炎となり客死

(むすび)
G・W・ノックスは来日早々住吉町教会(現横浜指路教会)の第二代仮牧師に就任した。また、横浜バラ学校(ヘボン塾の後身)、築地大学校(横浜バラ学校を改称)、東京一致神学校(明治学院の前身)で教師・教授をつとめ、その後は明治学院神学部の看板教授の一人として活躍した。さらに、高知伝道には特に積極的であり、後に衆議院議長や同志社総長となった片岡健吉や著名な牧師となった坂本直寛などを含め13名に洗礼を授けた。1888(明治21)年に日本での宣教事業の功績に対しPrinceton大学から神学博士号の学位を贈られた。その後日本での15年間の伝道を終え、1893(明治26)年6月に帰国した。
アメリカに帰国後は、ニューヨーク州Ray Presbyterian Church牧師に就任するとともに、ユニオン神学校講師・教授・校長代行、Yale大学講師として、弁証論、哲学、宗教史、海外伝道などを講じた。こうした研究の蓄積は日本伝道を通じて得られたものであった。それらが評価されてHobart大学から法学博士号、Wesleyan大学およびYale大学から神学博士号を受領した。さらには、在日宣教師時代において日露戦争時の日本への言論協力が評価されて1908年に日本政府から「勲四等旭日小綬章」が贈られた。その後、1912(明治45)にユニオン神学校主催東洋伝道地視察旅行に参加し、インド、中国の視察を終えてソウル(朝鮮)で肺炎になり同年4月25日に客死した。享年59歳であった。日本政府は同宣教師の死去後の5月に「勲三等瑞宝章」を追贈した。その後6月にニューヨーク州Knoxboro Cemetryに埋葬された。

《同例会に参加して思ったこと、感じたこと》
G・W・ノックス宣教師(博士)は、ヘボン博士、ブラウン博士およびフルベッキ博士などと比較すると世に知られておらず、今回同例会に参加して同博士の全体像を知ることができ、改めてその偉大な働きを認識しました。例えば、日露戦争時に日本に言論協力をしたことにより日本政府から「勲四等旭日小綬章」を贈られ、さらには「勲三等瑞宝章」を追贈されるなど、如何にその貢献度が大であったかがわかります。また、明治学院創立理事会議長として白金校地決定にリーダーシップを発揮すると共に、個人として現在歴史的建造物になっている明治学院記念館(旧神学部校舎)建設に大口の寄付をされていることを知り、感謝の念を強く抱きました。
なお、いつも投稿記事で言及していることですが、このような貴重な発表内容は明治学院の財産であり、僭越ですが当学院としても同様な企画・開催をされることを強く希望いたします。
最後になりましたが、この機会を得、中島耕二先生並びに横浜プロテスタント史研究会の世話人である岡部一興先生に深く感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

(追記)
同例会が開催される同日午前に、「ヘボン博士横浜山手245番旧宅跡」を訪ねました。訪問の目的は、同地に介護付き有料老人ホームが建設中との中島先生からの情報に基づき、ヘボン顕彰会が同博士を顕彰するために建てられた記念碑が現在も保存されているかを確認するためでした。
同地は、博士ご夫妻が1876(明治9)年3月から1881(明治14)年4月まで、および1883(明治16)5月から1892(明治25)年10月までの通算約14年間居住された土地であります。その間、博士は旧約聖書翻訳社中の委員長としてその完訳まで務め、さらには明治学院総理として高齢にも拘わらず白金に通勤された記念すべき土地であるため、同顕彰会はその跡地である日本銀行家族寮の門の脇に記念碑を建てられました。しかし、2015年10月24日(土)に当ゼミのフィールド・ワークとして同地を訪問した時は、同家族寮は閉鎖状態にあり、記念碑の保存が課題であることを認識した経緯があります。(参照:当HP「校友団体情報」欄での2015年10月30日付け投稿記事)
同地に到着し確認すると、同老人ホームは建物および外構も既に完成しており、心配していた旧門と一体となった記念碑はそのままの状態で保存されていました。建築主や関係者の皆様に感謝するとともに、安心した次第です。
上記状況について、中島先生から例会に参加された皆様に経緯を含め説明し、併せてカメラに収めた記念碑の映像も回覧し、安堵の感想をいただきました。
(世話人:海瀬春雄)

img016+(4)[3]

 

 

 

 

(現在の横浜指路教会)

img016+(8)[4]

 

 

 

 

(ヘボン博士記念顕彰碑 横浜山手245番旧宅跡)

 

中島耕二ゼミ「ヘボンの手紙を読もう会」国際善隣協会公開フォーラムに参加

当ゼミは、2009年度から2013年度にかけて校友会とキリスト教研究所の共催で開講された「ヘボン塾校友講座」から生まれた団体です。受講生からはもう少し勉強を続けたいという声が上がり、講師をされた本学の元客員教授の中島耕二先生からも自主ゼミのご提案があり、2012年4月に活動を開始し、7年6か月が経過しました。
その間、ヘボン博士をはじめ多くの宣教師の各書簡集あるいは伝記類の輪読、フィールド・ワークの適宜な実施、朗読劇の上演、各研究会の随時参加など活動をしております。現在は、明治学院神学部の教授もされたT.T.アレクサンダー宣教師(博士)について、同宣教師の曾孫であるジョアンナ・シェルトン女史の著『わたしの家族の明治日本』(文藝春秋、2018年)を輪読しています。

今回はゼミの一環として、中島先生が講演をされた「国際善隣協会公開フォーラム」に、ゼミ生6名が参加したので報告させていただきます。

主催:一般社団法人 国際善隣協会
日時:2019(令和元)年10月31日(木)14:00 ~ 16:00
会場:国際善隣協会 会館 5階 会議室
演題:日本の夜明けとフルベッキ博士
講師:中島耕二 元明治学院大学客員教授、博士(文学)
参加者:約50名(満員)

中島先生は配布されたレジュメ(パワーポイント資料)と「年表」に基づき説明をされましたが、ここではレジュメの各タイトルを記載のうえ一部内容を抜粋し、項目(はじめに、本論、むすび)を加えながらその骨子をご報告いたします。
なお、質疑応答時間は長く設定され多くの質疑がありましたが、ここでは省略いたします。

(はじめに)
 フルベッキ博士とは
  1859年11月7日に来日した、アメリカ・オランダ改革教会(The Dutch Reformed Church in America)宣教師。長崎で、後に明治政
  府の要人となる人々に欧米の知識を授け、留学生斡旋、海外使節団の提言、新政府お雇いとして、教育および法制度の改革、諸制度
  の建策等当時、日本の近代化に最も貢献した人物であった。
  本来の宣教師としても、聖書の翻訳、神学教授、教会の形成、地方開拓伝道に尽くし、日本のプロテスタント布教に大きな足跡を残
  した。1898年に東京で没し、青山霊園に眠る。享年68歳。
 「島崎藤村『夜明け前』と明治維新」
 フルベッキの生涯時代区分
 フルベッキ研究の視座
 日本語主要参考文献

(本論)
 ①オランダ時代
 ②アメリカ時代(2/1)
 ②アメリカ時代(2/2)
 ③長崎時代(2/1)
 ③長崎時代(2/2)
 ④東京お雇い時代(1869~1877)
 ブリーフ・スケッチ(海外使節団)の提言
 岩倉使節団
 開成学校・大学南校・南校・第一番中学(1869年4月1日~1873年9月12日)
 正院・左院・元老院翻訳局法律顧問(1874年12月1日~1877年9月)
 その他国立公文書館等所蔵法学書
 同僚宣教師ワイコフの回想
  ・「フルベッキ氏は夜の時間を猛烈な読書と研究に消費せざるを得なかったのです。氏がある時筆者に語ったところによれば、政府
   へのお雇い期間中は読書とその結果を説明するのに忙しく、仕事の大部分を口頭で行っていたため、ものを書く時間も機会も持て
   なかった。その結果、筆下手になってしまった」。(The Japan Evangelist, June 1894)
         →フルベッキは、自ら勉強し理解したことを、すべて記憶し翌日には日本人同僚に口述するという毎日であった。長崎時代も同
     じ勉強法であったと思われる。(中島先生の見解)
 ⑤東京伝道時代(1877~1898)
 同僚宣教師ワイコフの追想
  ・彼は極端に謙虚な人でした。その謙虚ぶりとは、自らを謙遜するのではなく、自分のことに触れることが避けられるなら努めてふ
   れないという姿勢でした。
  ・彼は物欲のない人でした。人にものをあげるという点においては、彼は気前が良かったという以上の説明ができないのです。
  ・彼は愛情の深い人でした。
  ・彼は明朗な人でした。相手の母国語で自由に話をし、音楽の才能を持ち、頼まれれば即座に楽器を奏で歌いました。ユーモア精神
   に富んでもいました。
  ・「彼は神と共に歩み、神が取られた(注:天国に連れていった)のでいなくなった」のです。

(むすび)
 フルベッキ宣教師(博士)は、夜明け前(幕末)の1859(安政6)年11月7日に長崎に到着した。長崎時代には日本語を学びながら、「済美館」や「致遠館」で後の明治政府の要人となる人々に欧米の知識を授けた。その後明治政府お雇い時代には日本の近代化(教育及び法制度の改革、諸制度の建策等)に最も貢献された。これら時代は同博士にとっては「準備期間」と位置づけられる。
 その後、本来の宣教師の使命として、築地時代は旧約聖書の翻訳や東京一致神学校、引き続き明治学院邦語神学部の教授等を務め、赤坂時代には関東一円、信州、北陸、名古屋、岩手、青森など地方伝道に注力した。
 しかし、1898(明治31)年3月10日に自宅で急逝された。享年68歳であった。葬儀は3月13日に芝教会で執り行われ、近衛連隊儀仗兵に守られ青山墓地に埋葬され、翌年12月に知友によって墓碑が建立された。
 なお、「機会がありましたら青山墓地への墓参や明治学院礼拝堂前のフルベッキ記念碑を訪ねられたら幸いです。」とむすばれた。

 《公開フォーラムに参加して思ったこと、感じたこと》
 先生は、今回の講演には幅広い方々がご参加されると想定し、冒頭その基準をどこに置くべきか言及された。しかし、史料に基づくアカデミックな雰囲気を残しながらパワーポイントを活用し、時系列的に非常に分かりやすく掘り下げて説明されたので、新たな知識も修得いたしました。すなわち、同博士が如何に日本の夜明けに多大な貢献をされたにも拘わらず、ご自身はそれを公言せず謙虚な姿勢を貫いたことに感銘いたしました。ヘボン博士にも通じるものがあり、以前にも増して同博士への畏敬の念を強く抱きました。
 今回の講演には、明治学院OB・OG約30名が参加され、母校愛を感じました。これは偏に元ゼミ生の辻丸 篤氏が同講演を発起人として提案され、且つその後も引き続き広報・動員を積極的に活動された賜物であります。
 なお、このような講演内容が明治学院で改めて企画・開催されることを強く希望いたします。
 最後になりましたが、この機会を得、中島先生並びに国際善隣協会の皆様に深く感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
(世話人:海瀬春雄)

img015+(10)[1]

2019年度阪柳会総会が開催されました。

 

2019阪柳会集合写真

2019(令和1)年10月5日(土)、令和初の阪柳会総会が、明治学院大学白金キャンパス本館10階大会議室で開催されました。

これまで当総会は、例年7月第一土曜日に開催してきましたが、今回の総会はここ数年来の猛暑を考慮し、10月第一土曜日に開催となりました。ただし当日は午前中から気温が上昇し最後気温は30.5℃(予想最高気温は32℃でした。)と、暑い一日になりました。

(尚、この一週間後の土曜日(10/12)には台風19号の影響で、首都圏の鉄道が軒並み計画運休となり、駅によっては冠水の被害もあったため、総会当日が晴天に恵まれ本当に良かったと安堵した次第です。)

今回の総会は阪柳先生の卒寿のお祝いを兼ねた会となり、阪柳先生ご夫妻をお招きし、インドネシア、福岡、島根、岡山、新潟など、遠路遥々参加された会員を含め、総勢70名の盛大な会となりました。

卒寿ケーキ2

阪柳先生ご夫妻1.

毎年感じることですが、恩師、旧友と年に一度、白金のキャンパスで再会し、旧交を温めることが出来るのは文字通り、有り難いことだと思います。年代が離れ、年に一度の出会いであっても年を重ねるごとに親しみが増し、家族のような親近感を抱く方も多くおられます。

 更に今年の総会では40代の若い参加者が増え、先生も大変喜んでおられました。今年も会員皆様の阪柳先生愛、阪柳会愛、明学愛を強く感じることが出来ました。

阪柳先生ご夫妻2.

 当総会では舞台を東京市ヶ谷から白金キャンパスに移して以降、明治学院大学の学生さんによるクラシックのミニコンサートをお届けしてまいりましたが、今年は趣向を変え、会員のお嬢さんで現在、フリーのフルート奏者として、ご自身のフルート教室を含め活躍されている方にソロのフルート演奏をお願いし、皆さんにお楽しみ頂きました。会員からのアンコールも出て、とても盛り上がった演奏となりました。

2019 鈴木真理乃さん フルー2

来年以降も阪柳会総会は10月の第一土曜日に開催する予定です。

是非、横の連絡を取り合って頂き旧交を温め、更に年代を越えた交友を広げて頂ければ、と思います。宜しくお願い申し上げます。

文責  :  阪柳会23期 三枝

 

訃報 大宮偀一先生ご逝去のこと

明治学院大学 大宮ゼミナール OB・OG 会 会員各位

 悲しいお知らせですが、大宮先生には一昨年来「多発性骨髄腫」という病気で闘病中のところ、薬石効なく8月23日夜ご逝去されました。 享年87歳。

 私達にとってゼミは大学で得られた一番の宝。在学中は大宮ゼミ生であることが誇りであり、卒業後はそれが社会を生き抜くバックボーンとなりました。皆様と一緒に先生のご薫陶を今一度思い起こし、心から感謝の意を表すると共に、先生のご冥福をお祈り申し上げることと致したく、ここに慎んでお知らせ申し上げます。

 先生のご逝去を悼み心からご冥福をお祈り申し上げます。

         第一期生 小菅義樹 ・ 第三期生 波平曉秀