学友団体

応援団OB会 2021年度第1回役員会

6月6日(日曜日)18:30~ OB会役員会を行いました。

出席者 8名

内容

①OB会長挨拶

②総監督報告 ※コロナ禍での大学の状況、学生の活動

       ※全日本大学応援団連盟報告

③各部監督報告 リーダー部、チアリーディング部、ブラスバンド部
                                 ※今年の新入生入部、活動計画

④3月に開催された チャリティーショー「第55回白金の集い」会計報告
                                           (事前収録し、上映)

⑤2021年度 「第56回白金の集い」について

⑥応援団OB会報 第27号について

就労しているOB、OGは仕事でオンラインは常識になっており 、又、仕事をしていないOBも、パソコンやスマホを使用していれば容易に入る事ができ、オンライン会議に参加できました。

会議終了後の飲食・歓談が楽しみなので、寂しいというOBもいれば

移動時間が無いので、オンラインが良いというOB、OGもいました。

                       投稿 徳沢幸人 1973年卒

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村田玲音大学学長による新年講演 YouTubeで配信のご案内

明治学院同窓会では、毎年「新年礼拝と交流会」を開催しておりますが、今年度はコロナ禍にあり、例年のように行うことができないため、「新年礼拝と学長講演」として録画し、YouTube配信でみなさまにお届けすることにいたしました。
なかなか白金の丘に来られない方々も含め、ぜひ多くの方々にご覧いただきたく、ご案内いたします。
詳しくはこちらをご覧ください。

2020年樹鵬会開催延期

2020年11月15日(日)に予定されておりました、

2020年 第54回 樹鵬会総会は増田先生とご相談の上延期といたしました。

開催が決まりましたらまた、皆さまにお知らせいたします。

樹鵬会会長 大塚

中島耕二ゼミ「ヘボンの手紙を読もう会」横浜プロテスタント史研究会例会に参加

当ゼミは、元本学客員教授の中島耕二先生のご指導のもと、2012年4月に活動を開始し、7年10か月が経過しました。その間、J.C.ヘボン博士、S.R.ブラウン博士、G.F.フルベッキ博士、W.インブリー博士、H.ルーミス博士、横浜の女性宣教師たち、J.H.バラ博士、T.T.アレキサンダー博士の各書簡集あるいは伝記類の輪読、フィールド・ワークの適宜な実施、朗読劇の上演、並びにキリスト教史学会大会、外国人居留地研究会全国大会など各研究会に随時参加しながら学習活動をしてきました。
1月からは、横浜指路教会教会史編纂委員会編『G・W・ノックス書簡集』(キリスト新聞社、2006年)を輪読しております。

今回はゼミの一環として、中島先生が発表された「横浜プロテスタント史研究会2020年2月例会(421回)」に、ゼミ生5名が参加したので報告させていただきます。

日 時:2020(令和2)年2月15日(土)14:00 ~ 16:00
場 所:横浜指路教会1階会議室
題  :「横浜指路教会第二代仮牧師 ジョージ・ウイリアム・ノックス」
講 師:中島耕二 横浜プロテスタント史研究会会員、元明治学院大学客員教授、東北大学 博士(文学)
参加者:約30名

中島先生はパワーポイントに基づき、配布された先生編集「同宣教師年表」と『福音新報』(抜粋)なども参照しながら説明をされましたが、ここでは項目(はじめに、本論、むすび)を抜粋し、その骨子をご報告いたします。
なお、発表後多くの質疑応答がありましたが、ここでは省略いたします。

(はじめに)
G・W・ノックス宣教師は、1853年8月11日にアメリカ・ニューヨーク州ロームで生まれた。祖父は成功した実業家・銀行家、父は長老教会の有力牧師であった。ハミルトン大学(当時、祖父が理事長)、オーバン神学校で学び、1877年に同校を卒業と同時にMiss Anna Caroline Holmes(1851~1942)と結婚し、按手礼を受領のうえ日本派遣宣教師となって同年9月29日にサンフランシスコ港を出航した。

(本論)
在日宣教師時代(1)
 ・1877年10月20日 ノックス夫妻横浜到着 横浜居留地39番居住
 ・1877年~1880年 横浜バラ学校教師
 ・1877年~1881年 住吉町教会仮牧師
 ・1881年~1882年 築地大学校英語教授 築地居留地27番居住
 ・1883年~1886年 東京一致神学校英語神学部教授 説教学、基督教証拠論
 ・1883年 朝鮮人最初のプロテスタント信者となった李樹廷を指導、韓国視察旅行
 ・1883年11月30日 ミラー夫妻と高知伝道
 ・1884年3月13日 ブライアン夫妻と高知伝道
 ・1885年5月15日 高知教会設立式洗礼執行 片岡健吉、坂本直寛、原保太郎、西森拙三ら男子7名、女子6名に授洗

在日宣教師時代(2)
 ・1886年 帝国大学哲学、倫理学および心理学講師
 ・1886年 明治学院創立理事会議長、白金校地決定に賛成意見
 ・1887年 明治学院神学部教授 論理学、組織神学、哲学史を担当
 ・1889年 第一回夏期学校(同志社)講演「三位一体の説」、「生命の説」
 ・1890年 第二回夏期学校(明治学院)講演「贖罪論」、「現今の神学」
 ・1890年5月17日 一高対明治学院野球試合観戦中「インブリー事件」に立ち会う
 ・1891年 明治学院理事員会代表
 ・1893年 高知大挙伝道参加、6月19日宣教師を辞任しアメリカに帰国

アメリカ帰国後
 ・1893年6月19日 横浜出航、アメリカ帰国
 ・1894年12月 ニューヨーク州Ray Presbyterian Church仮牧師
 ・1895年12月 同教会牧師
 ・1896年 ユニオン神学校講師、弁証論担当
 ・1899年2月 Ray教会牧師辞任
 ・同年ユニオン神学校教授、哲学・宗教史・海外伝道担当
 ・1903年 Yale大学講師兼任
 ・1906年 ユニオン神学校校長代行
 ・1911年11月 神学校主催東洋伝道地視察旅行出発
 ・1912年4月25日 ソウル、朝鮮で肺炎となり客死

(むすび)
G・W・ノックスは来日早々住吉町教会(現横浜指路教会)の第二代仮牧師に就任した。また、横浜バラ学校(ヘボン塾の後身)、築地大学校(横浜バラ学校を改称)、東京一致神学校(明治学院の前身)で教師・教授をつとめ、その後は明治学院神学部の看板教授の一人として活躍した。さらに、高知伝道には特に積極的であり、後に衆議院議長や同志社総長となった片岡健吉や著名な牧師となった坂本直寛などを含め13名に洗礼を授けた。1888(明治21)年に日本での宣教事業の功績に対しPrinceton大学から神学博士号の学位を贈られた。その後日本での15年間の伝道を終え、1893(明治26)年6月に帰国した。
アメリカに帰国後は、ニューヨーク州Ray Presbyterian Church牧師に就任するとともに、ユニオン神学校講師・教授・校長代行、Yale大学講師として、弁証論、哲学、宗教史、海外伝道などを講じた。こうした研究の蓄積は日本伝道を通じて得られたものであった。それらが評価されてHobart大学から法学博士号、Wesleyan大学およびYale大学から神学博士号を受領した。さらには、在日宣教師時代において日露戦争時の日本への言論協力が評価されて1908年に日本政府から「勲四等旭日小綬章」が贈られた。その後、1912(明治45)にユニオン神学校主催東洋伝道地視察旅行に参加し、インド、中国の視察を終えてソウル(朝鮮)で肺炎になり同年4月25日に客死した。享年59歳であった。日本政府は同宣教師の死去後の5月に「勲三等瑞宝章」を追贈した。その後6月にニューヨーク州Knoxboro Cemetryに埋葬された。

《同例会に参加して思ったこと、感じたこと》
G・W・ノックス宣教師(博士)は、ヘボン博士、ブラウン博士およびフルベッキ博士などと比較すると世に知られておらず、今回同例会に参加して同博士の全体像を知ることができ、改めてその偉大な働きを認識しました。例えば、日露戦争時に日本に言論協力をしたことにより日本政府から「勲四等旭日小綬章」を贈られ、さらには「勲三等瑞宝章」を追贈されるなど、如何にその貢献度が大であったかがわかります。また、明治学院創立理事会議長として白金校地決定にリーダーシップを発揮すると共に、個人として現在歴史的建造物になっている明治学院記念館(旧神学部校舎)建設に大口の寄付をされていることを知り、感謝の念を強く抱きました。
なお、いつも投稿記事で言及していることですが、このような貴重な発表内容は明治学院の財産であり、僭越ですが当学院としても同様な企画・開催をされることを強く希望いたします。
最後になりましたが、この機会を得、中島耕二先生並びに横浜プロテスタント史研究会の世話人である岡部一興先生に深く感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

(追記)
同例会が開催される同日午前に、「ヘボン博士横浜山手245番旧宅跡」を訪ねました。訪問の目的は、同地に介護付き有料老人ホームが建設中との中島先生からの情報に基づき、ヘボン顕彰会が同博士を顕彰するために建てられた記念碑が現在も保存されているかを確認するためでした。
同地は、博士ご夫妻が1876(明治9)年3月から1881(明治14)年4月まで、および1883(明治16)5月から1892(明治25)年10月までの通算約14年間居住された土地であります。その間、博士は旧約聖書翻訳社中の委員長としてその完訳まで務め、さらには明治学院総理として高齢にも拘わらず白金に通勤された記念すべき土地であるため、同顕彰会はその跡地である日本銀行家族寮の門の脇に記念碑を建てられました。しかし、2015年10月24日(土)に当ゼミのフィールド・ワークとして同地を訪問した時は、同家族寮は閉鎖状態にあり、記念碑の保存が課題であることを認識した経緯があります。(参照:当HP「校友団体情報」欄での2015年10月30日付け投稿記事)
同地に到着し確認すると、同老人ホームは建物および外構も既に完成しており、心配していた旧門と一体となった記念碑はそのままの状態で保存されていました。建築主や関係者の皆様に感謝するとともに、安心した次第です。
上記状況について、中島先生から例会に参加された皆様に経緯を含め説明し、併せてカメラに収めた記念碑の映像も回覧し、安堵の感想をいただきました。
(世話人:海瀬春雄)

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(現在の横浜指路教会)

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(ヘボン博士記念顕彰碑 横浜山手245番旧宅跡)

 

中島耕二ゼミ「ヘボンの手紙を読もう会」国際善隣協会公開フォーラムに参加

当ゼミは、2009年度から2013年度にかけて校友会とキリスト教研究所の共催で開講された「ヘボン塾校友講座」から生まれた団体です。受講生からはもう少し勉強を続けたいという声が上がり、講師をされた本学の元客員教授の中島耕二先生からも自主ゼミのご提案があり、2012年4月に活動を開始し、7年6か月が経過しました。
その間、ヘボン博士をはじめ多くの宣教師の各書簡集あるいは伝記類の輪読、フィールド・ワークの適宜な実施、朗読劇の上演、各研究会の随時参加など活動をしております。現在は、明治学院神学部の教授もされたT.T.アレクサンダー宣教師(博士)について、同宣教師の曾孫であるジョアンナ・シェルトン女史の著『わたしの家族の明治日本』(文藝春秋、2018年)を輪読しています。

今回はゼミの一環として、中島先生が講演をされた「国際善隣協会公開フォーラム」に、ゼミ生6名が参加したので報告させていただきます。

主催:一般社団法人 国際善隣協会
日時:2019(令和元)年10月31日(木)14:00 ~ 16:00
会場:国際善隣協会 会館 5階 会議室
演題:日本の夜明けとフルベッキ博士
講師:中島耕二 元明治学院大学客員教授、博士(文学)
参加者:約50名(満員)

中島先生は配布されたレジュメ(パワーポイント資料)と「年表」に基づき説明をされましたが、ここではレジュメの各タイトルを記載のうえ一部内容を抜粋し、項目(はじめに、本論、むすび)を加えながらその骨子をご報告いたします。
なお、質疑応答時間は長く設定され多くの質疑がありましたが、ここでは省略いたします。

(はじめに)
 フルベッキ博士とは
  1859年11月7日に来日した、アメリカ・オランダ改革教会(The Dutch Reformed Church in America)宣教師。長崎で、後に明治政
  府の要人となる人々に欧米の知識を授け、留学生斡旋、海外使節団の提言、新政府お雇いとして、教育および法制度の改革、諸制度
  の建策等当時、日本の近代化に最も貢献した人物であった。
  本来の宣教師としても、聖書の翻訳、神学教授、教会の形成、地方開拓伝道に尽くし、日本のプロテスタント布教に大きな足跡を残
  した。1898年に東京で没し、青山霊園に眠る。享年68歳。
 「島崎藤村『夜明け前』と明治維新」
 フルベッキの生涯時代区分
 フルベッキ研究の視座
 日本語主要参考文献

(本論)
 ①オランダ時代
 ②アメリカ時代(2/1)
 ②アメリカ時代(2/2)
 ③長崎時代(2/1)
 ③長崎時代(2/2)
 ④東京お雇い時代(1869~1877)
 ブリーフ・スケッチ(海外使節団)の提言
 岩倉使節団
 開成学校・大学南校・南校・第一番中学(1869年4月1日~1873年9月12日)
 正院・左院・元老院翻訳局法律顧問(1874年12月1日~1877年9月)
 その他国立公文書館等所蔵法学書
 同僚宣教師ワイコフの回想
  ・「フルベッキ氏は夜の時間を猛烈な読書と研究に消費せざるを得なかったのです。氏がある時筆者に語ったところによれば、政府
   へのお雇い期間中は読書とその結果を説明するのに忙しく、仕事の大部分を口頭で行っていたため、ものを書く時間も機会も持て
   なかった。その結果、筆下手になってしまった」。(The Japan Evangelist, June 1894)
         →フルベッキは、自ら勉強し理解したことを、すべて記憶し翌日には日本人同僚に口述するという毎日であった。長崎時代も同
     じ勉強法であったと思われる。(中島先生の見解)
 ⑤東京伝道時代(1877~1898)
 同僚宣教師ワイコフの追想
  ・彼は極端に謙虚な人でした。その謙虚ぶりとは、自らを謙遜するのではなく、自分のことに触れることが避けられるなら努めてふ
   れないという姿勢でした。
  ・彼は物欲のない人でした。人にものをあげるという点においては、彼は気前が良かったという以上の説明ができないのです。
  ・彼は愛情の深い人でした。
  ・彼は明朗な人でした。相手の母国語で自由に話をし、音楽の才能を持ち、頼まれれば即座に楽器を奏で歌いました。ユーモア精神
   に富んでもいました。
  ・「彼は神と共に歩み、神が取られた(注:天国に連れていった)のでいなくなった」のです。

(むすび)
 フルベッキ宣教師(博士)は、夜明け前(幕末)の1859(安政6)年11月7日に長崎に到着した。長崎時代には日本語を学びながら、「済美館」や「致遠館」で後の明治政府の要人となる人々に欧米の知識を授けた。その後明治政府お雇い時代には日本の近代化(教育及び法制度の改革、諸制度の建策等)に最も貢献された。これら時代は同博士にとっては「準備期間」と位置づけられる。
 その後、本来の宣教師の使命として、築地時代は旧約聖書の翻訳や東京一致神学校、引き続き明治学院邦語神学部の教授等を務め、赤坂時代には関東一円、信州、北陸、名古屋、岩手、青森など地方伝道に注力した。
 しかし、1898(明治31)年3月10日に自宅で急逝された。享年68歳であった。葬儀は3月13日に芝教会で執り行われ、近衛連隊儀仗兵に守られ青山墓地に埋葬され、翌年12月に知友によって墓碑が建立された。
 なお、「機会がありましたら青山墓地への墓参や明治学院礼拝堂前のフルベッキ記念碑を訪ねられたら幸いです。」とむすばれた。

 《公開フォーラムに参加して思ったこと、感じたこと》
 先生は、今回の講演には幅広い方々がご参加されると想定し、冒頭その基準をどこに置くべきか言及された。しかし、史料に基づくアカデミックな雰囲気を残しながらパワーポイントを活用し、時系列的に非常に分かりやすく掘り下げて説明されたので、新たな知識も修得いたしました。すなわち、同博士が如何に日本の夜明けに多大な貢献をされたにも拘わらず、ご自身はそれを公言せず謙虚な姿勢を貫いたことに感銘いたしました。ヘボン博士にも通じるものがあり、以前にも増して同博士への畏敬の念を強く抱きました。
 今回の講演には、明治学院OB・OG約30名が参加され、母校愛を感じました。これは偏に元ゼミ生の辻丸 篤氏が同講演を発起人として提案され、且つその後も引き続き広報・動員を積極的に活動された賜物であります。
 なお、このような講演内容が明治学院で改めて企画・開催されることを強く希望いたします。
 最後になりましたが、この機会を得、中島先生並びに国際善隣協会の皆様に深く感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
(世話人:海瀬春雄)

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2019年度阪柳会総会が開催されました。

 

2019阪柳会集合写真

2019(令和1)年10月5日(土)、令和初の阪柳会総会が、明治学院大学白金キャンパス本館10階大会議室で開催されました。

これまで当総会は、例年7月第一土曜日に開催してきましたが、今回の総会はここ数年来の猛暑を考慮し、10月第一土曜日に開催となりました。ただし当日は午前中から気温が上昇し最後気温は30.5℃(予想最高気温は32℃でした。)と、暑い一日になりました。

(尚、この一週間後の土曜日(10/12)には台風19号の影響で、首都圏の鉄道が軒並み計画運休となり、駅によっては冠水の被害もあったため、総会当日が晴天に恵まれ本当に良かったと安堵した次第です。)

今回の総会は阪柳先生の卒寿のお祝いを兼ねた会となり、阪柳先生ご夫妻をお招きし、インドネシア、福岡、島根、岡山、新潟など、遠路遥々参加された会員を含め、総勢70名の盛大な会となりました。

卒寿ケーキ2

阪柳先生ご夫妻1.

毎年感じることですが、恩師、旧友と年に一度、白金のキャンパスで再会し、旧交を温めることが出来るのは文字通り、有り難いことだと思います。年代が離れ、年に一度の出会いであっても年を重ねるごとに親しみが増し、家族のような親近感を抱く方も多くおられます。

 更に今年の総会では40代の若い参加者が増え、先生も大変喜んでおられました。今年も会員皆様の阪柳先生愛、阪柳会愛、明学愛を強く感じることが出来ました。

阪柳先生ご夫妻2.

 当総会では舞台を東京市ヶ谷から白金キャンパスに移して以降、明治学院大学の学生さんによるクラシックのミニコンサートをお届けしてまいりましたが、今年は趣向を変え、会員のお嬢さんで現在、フリーのフルート奏者として、ご自身のフルート教室を含め活躍されている方にソロのフルート演奏をお願いし、皆さんにお楽しみ頂きました。会員からのアンコールも出て、とても盛り上がった演奏となりました。

2019 鈴木真理乃さん フルー2

来年以降も阪柳会総会は10月の第一土曜日に開催する予定です。

是非、横の連絡を取り合って頂き旧交を温め、更に年代を越えた交友を広げて頂ければ、と思います。宜しくお願い申し上げます。

文責  :  阪柳会23期 三枝

 

訃報 大宮偀一先生ご逝去のこと

明治学院大学 大宮ゼミナール OB・OG 会 会員各位

 悲しいお知らせですが、大宮先生には一昨年来「多発性骨髄腫」という病気で闘病中のところ、薬石効なく8月23日夜ご逝去されました。 享年87歳。

 私達にとってゼミは大学で得られた一番の宝。在学中は大宮ゼミ生であることが誇りであり、卒業後はそれが社会を生き抜くバックボーンとなりました。皆様と一緒に先生のご薫陶を今一度思い起こし、心から感謝の意を表すると共に、先生のご冥福をお祈り申し上げることと致したく、ここに慎んでお知らせ申し上げます。

 先生のご逝去を悼み心からご冥福をお祈り申し上げます。

         第一期生 小菅義樹 ・ 第三期生 波平曉秀

2019年度阪柳会のお知らせ

阪柳会会員の皆様

阪柳会総会は例年7月第一土曜日に開催してまいりましたが、

ここ数年来の猛暑を考慮し、本年(2019年)につきましては

10月5日(土)に開催I致します。

場所と会場は従来通り、

明治学院大学白金キャンパス本館10F大ホール、午後2時~

を予定しております。

皆さまにはこれまで通り、往復はがきで別途ご案内差し上げますので

宜しくお願い申し上げます。

皆様のご参加をお待ち申し上げております。

文責:阪柳会23期 三枝賢一郎

 

 

 

 

中島耕二ゼミ「ヘボンの手紙を読もう会」東京ヘボンクラブ主催のバス旅行に参加

当ゼミは、本学元客員教授の中島耕二先生のご指導のもと、設立して8年を迎えました。その間、J.C.ヘボン博士、S.R.ブラウン博士、G.F.フルベッキ博士、W.インブリー博士、H.ルーミス博士、横浜の女性宣教師たち、J.H.バラ博士の各書簡集あるいは伝記類の輪読、フィールド・ワークの適宜な実施、朗読劇の上演、各研究会に随時参加など活動をしてきました。現在は、T.T.アレキサンダー博士の曾孫のジョアンナ・シェルトン著『わたしの家族の明治日本』(文藝春秋、2018年)を輪読しています。

この度、東京ヘボンクラブ主催のバス旅行「世界遺産 富岡製糸場 & フルベッキゆかりの甘楽教会」に、ゼミ生4名がフィールド・ワークの一環として参加したので報告させていただきます。

主 催:東京ヘボンクラブ
日 時:2019年(令和元)年5月16日(木)9:00 ~ 18:30
行 程:東京駅 → 高坂SA(休憩)→ 富岡IC → 昼食 → 富岡製糸場(見学)→ 甘楽教会(見学・中島先生による小講演)
    → こんにゃくパーク (試食・土産品購入)→ 富岡IC → 三芳PA(休憩)→ 東京駅
参加者:29名

ここでは、東京ヘボンクラブの顧問でもあります中島先生が、甘楽教会において講演した内容「フルベッキ宣教師(博士)の生涯」について、その骨子を報告いたします。

甘楽教会は、「新島襄が設立に関わった安中教会信徒の伝道をきっかけとして、1884年の甘楽第一基督教会が設立されたのが始まり」である、といただいたパンフレットに記載されている。いわゆる「組合派(会衆派)」の流れを汲んでいるが、1941年のプロテスタント33教派 が合同したことにより、現在は日本基督教団の教会となっている。設立当時の教会堂は富岡製糸場前にあったが、現教会堂は二代目に当たる。

中島耕二編「フルベッキ宣教師の活動・居住地履歴から見る(Japan Directory を中心に調査」(2019年1月1日)について、同資料を配布のうえ説明されたが、その内容を踏まえて概略を以下紹介いたします。

フルベッキは、1830年1月23日にオランダ・ザイストで誕生し、22歳の時にニューヨーク州オーバン市に住んでいた姉夫婦を頼り渡米した。その後、ウィスコンシン州でのタンク鋳物工場(造船部品)やアーカンソー州で土木機械技師の仕事に携わった。
しかし、土木工事は激務であり猛暑が重なり体調を崩し、コレラに罹ってしまう。病床で少年時代に聞いたカール・ギュツラフの講演を思い出し、もし病気が癒えたなら海外伝道のために献身したいと祈った。この祈りが通じて、病気は奇跡的に治った。そこで技師の仕事をやめて、1856年9月にニューヨーク州にある長老教会のオーバン神学校に入学した。
この地で、オワスコ・アウトレットのサンド・ビーチ改革教会の牧師を務めるS.R.ブラウン牧師と出会い、教会の手伝いをすることになった。
1859年3月に同神学校の卒業を控え、ブラウンがフルベッキを日本派遣宣教師としてオランダ改革教会海外伝道局に推薦して、その結果、同海外伝道局がフルベッキを宣教師に任命した。4月18日には サンド・ビーチ教会で出会ったマリア・マニヨンとフィラデルフィアで結婚式を挙げ、そのわずか19日後の5月7日に「サープライズ号」でブラウンおよびシモンズ一家と共に日本に向けてニューヨークを出航した。上海に寄港した後、ブラウンとシモンズは先に神奈川に上陸し、フルベッキは1859年11月7日に長崎に上陸した。
その後長崎で、伝道と共に済美館(幕府所管の洋学校、1864年~)と長崎致遠館(佐賀藩洋学校、1868年~)においては英語だけでなく、政治や経済など西洋の近代科学についても教授した。その教え子の中には、後に明治期において活躍した大隈重信、副島種臣など多くの人材が含まれていた。
1869(明治2)年に明治政府に雇われ、日本の近代化政策、特に近代教育の礎を築き、引き続き元老院顧問を務め、その功績を認められ、1877(明治10)年に政府より勲三等旭日中綬章を授与された。
その後、政府の仕事から離れ東京一致神学校講師や華族学校教師、明治学院邦語神学部教授などに就任しながら、本来の使命である宣教師活動を再開し、信州ほか全国に亘る地方の開拓伝道に全力を傾けた。しかし、1898(明治31)年3月10日に赤坂区葵町の自宅で心臓麻痺のために急逝した。享年68歳であった。

中島先生の小講演は、フルベッキ宣教師(博士)は1885(明治18)年以降亡くなるまで13年間、夫人が子育ての為アメリカに在住し、別居状態という犠牲のうえに日本宣教の活動をされており、その恩恵を受けた明治学院や祝福をいただいた各地伝道先などは深く感謝しなければならない、と結ばれた。
甘楽教会礼拝堂に飾られている同宣教師(博士)の書「God is Love」(新約聖書ヨハネ第一の手紙4章16節の言葉)は、同宣教師(博士)が信州伝道の際に佐久でお世話になった岡部家から依頼されて揮毫したものである。岡部家の長男 岡部太郎氏は、その後同志社神学校に進学し、卒業後は当教会の2代目牧師として就任し長く奉仕された。そうした経緯から同書が岡部家から甘楽教会に寄贈され、今日我々が目にする栄に浴することが出来るようになった。

《バス旅行に参加して思ったこと、感じたこと》
参加者は、名簿から推定すると最高齢者は94歳、最年少者は46歳、中心年齢(N値)は70歳前後と思われ、幅広い年齢層から構成されていました。皆様は非常にお元気で勉強熱心な紳士・淑女の集まりであると感じました。これもヘボン博士が96歳まで長生きをされ、探求心旺盛な宣教医でしたので、それらを目標にされているのではないか、と自己紹介の際にふと思ったりもしました。また、中島先生の講演による「フルベッキ宣教師(博士)の生涯」を拝聴し、さらに「God is Love」の実物も拝見し、改めて同宣教師(博士)への畏敬の念を強く抱きました。

最後になりましたが、この機会を得、中島先生並びに東京ヘボンクラブの皆様に深く感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
(世話人:海瀬春雄)

甘楽教会

(写真:甘楽教会)

フルベッキ宣教師の書

(写真:フルベッキ宣教師(博士)の書)

【69会 入学50周年記念&古希 祝賀会 開催】

69会は1969年に入学し、体育クラブに所属した同級生の集まりです。学生時代から親交は深く、卒業後もゴルフや飲み会で繋がりを保持してきました。2011年に、校友会に団体登録を行い、会の活動報告、催しの案内を校友会ホームページ(校友団体情報)に投稿しています。

2011年11月、校友センターのご支援・助言を戴き、還暦祝賀会を盛大に開催し、49名が出席しました。(4月開催の予定でしたが東日本大震災により延期)その際、次回は古希の祝賀会を開催しようとの合意があり、今回の開催に至った次第です。

今年、2019年は多くの仲間が古希を迎える(数えで)とともに、入学50周年であり、記念すべき年であるという事で、以下の通り開催しました。

開催日時 4月14日(日曜日) 12:30~15:00

会場   白金キャンパス本館10階 大会議室

出席者  53名

来賓   学生部長 亀ヶ谷純一教授(学長補佐)

     同窓会  竹越浩一会長 (校友会副会長)

出席者の出身クラブ

アーチェリー、アメリカンフットボール、応援団、空手道、硬式テニス、山岳、サッカー、自動車、射撃、柔道、少林寺拳法、水上スキーモーターボート、軟式テニス、日本拳法、バスケットボール、バドミントン、バレーボール、野球、ヨット、ラグビー、陸上競技、ワンダーフォーゲル。

会の流れ、様子

冒頭、物故者への追悼を行い、次に主催者代表の大谷明君 体育会執行部 第20代委員長 が挨拶を行いました。

続いて、亀ヶ谷教授から母校の様子、体育会クラブの活動状況、今後の取り組みについてお話があり、又、竹越会長からは今後とも、同窓会の盛り上がりに寄与してもらいたいとのお話があり、皆、真面目に(乾杯の前の祝辞でしたから)聞いていました。

乾杯の音頭、発声は数多くの遠隔地からの出席者の中で一番遠くから出席した高橋修史君(旭川市、山岳部OB)が行いました。関東地方以外から出席者の道府県は以下です。北海道2人、山形県、石川県、静岡県2人、愛知県、大阪府、広島県2人、福岡県、大分県。

乾杯の後、ちょうど良い機会という事で、野球部OB会前事務局長(竹内公一君)から謝辞がありました。(2013年、明治学院150周年、野球部記念試合終了後のパーティーの際、多くの体育会クラブOB会が野球部に寄付を行いましたが、そのお礼です。)

歓談の合間には、各クラブ順に出席者が近況を報告し、引き続き、紫色の「ちゃんちゃんこ」を着て、1人ずつ写真撮影しました。

出席者の中にはおよそ50年振りに会う仲間の姿や変貌発展を遂げた白金キャンパスに驚いたり、今昔の思いの中、旧交と親睦を深めました。

会の中盤には、プロジェクターで、動画及び写真の映写を行いました。

動画は2013年11月24日「明治学院150周年記念、野球部記念試合:神宮球場での対東京大学戦」、です。沢山の同窓生、教職員、学生が盛り上がった事に改めて感激しました。

写真は白金通信(1969年~1973年の在籍期間中の)抜粋「全共闘学生運動、野球部首都リーグ優勝、三浦土地購入問題など」我々にとって忘れられない思い出です。

(白金通信は図書館に保存されています。校友会A会員になれば図書館に入館、閲覧ができます。白金通信は持ち出し禁止の蔵書のひとつですので、記事の写真撮影が許されました)

終盤には、応援団チアリーディング部の演技があり、出席者全員から感嘆の声が上りました。

最後は、全員で、声高らかに、応援歌、校歌を合唱しました。

閉会にあたりましては、世話人代表が、「配布した明治学院大学学校案内本を持ち帰って、母校を再認識し、孫、親族に明治学院大学を奨励して欲しい」と締め括りました。

尚、開会前、11:30からは体育会執行部4年生の案内によるキャンパスツアーを行い、約20名が参加し、卒業後、初めて、久しぶりに訪れた同窓生は、明治学院の歴史、文化財の素晴らしさに感銘し、現在の施設、学生の環境に羨慕の想いが積もった様です。

 

今回の催しにご協力、資料を提供して戴きました、校友センター、学生部、広報室、図書館、入試センター及び学院長室の方々に厚く御礼申し上げます。

                       投稿者 徳沢幸人 応援団OB

69会2019年4月写真