学友団体

150周年記念イベント応援

150周年記念イベントの第一弾として行われた応援団の京都徒歩行軍を、横浜市で、同窓会の諸先輩と一緒に応援を行いました。
横浜市等に在住の69会の会員の6名は、2月21日午前9時30分、横浜スタジアムで学生4名を出迎えて京都徒歩行軍を激励しました。
激励を行った後、Dr.ヘボンゆかりの地を、学生たちと一緒に巡り、150年の重み、明治学院の歴史にあらためて感銘を受けています。ゆかりの地を訪問後、昼食を共にして、京都徒歩行軍の成功を祈念して、散会しました。
夕方には、当日の宿泊地 戸塚にて、69会有志が応援団OBと合同で夕食会を持ち、第2日目の慰労を行いました。
69会は今後、体育会各クラブで予定している150周年記念イベントに対し、応援を行っていきます。
代表 大谷 明 記

明学小劇場45周年 祭

学院創立150周年の記念すべき年に、明学小劇場は創立45周年を迎えました!
学内にて45周年記念祭を開催しますので、様々な年代・サークルの皆さんもご参加下さい!

明学小劇場45周年 祭(まつり)

■日時:2013年6月16日(日)13時開場 13時30分開演
■会場:明治学院大学本館10階大会議場
■会費:6000円

http://meisho.saloon.jp/club/
参加お申し込み、ご案内状ご希望の方は「かくべい会」サイトをご覧下さい。

http://meisho.saloon.jp/club/

新幹事57年度生大久保勝からのあいさつ

平成24年10月13日(土)OB会を開催致しました。全国から44名(OB23名、OG21名)、遠くは函館・宮崎・松江・姫路・前橋等からも集まり盛会でした。毎年秋に開催していますが、今年は校友会のお世話により、久し振りに明学校内で持つことができました。出席者はチャペル・記念館・校舎を見て、青春時代を思い出し、気分はすっかり学生時代に戻りました。そして明治学院の校風や部活で培った生き方が今も根づいていることをお互いの話の中で確認し合う良い機会にもなりました。学院と部活の精神が時を越えて心の中に生きており、出席者の各世代が一つになりました。では私達が当時どんな活動をしていたかを紹介させて頂きます。
宣教師ハナフォード先生が学内で創められた土曜学校(日曜学校の土曜版)を当部が引き継ぎ、「児童への福音」を掲げて近隣の子供達との交わりを共にしていました。また当方から積極的に外部へ出向くスタンスも重視し、視聴覚(人形劇、フランネルグラフ、素話)を中心とした子供会を開催しました。とりわけ伊豆・秋田・岡山へキャラバン隊を送って、地元教会と連携を図りながら福祉施設等を回ったのは学院を高く評価して頂くことができました。
部員は各自の思想にこだわらず持ち味を生かして広く学院生として活動することを旨としています。これが今日、夫々の立場が異なりながらも学院に誇りを持ち、仲間意識を支えています。
今回の基児研OB会は最後に明治学院校歌「人の世の若き命のあさぼらけ」を高らかに歌って散会しました。

http://angel.ap.teacup.com/kijiken/

樹鵬会 開催のお知らせ(増田ゼミ 経営学)

2012年樹鵬会総会を12月2日(日)に昨年と同じ場所、明治学院大学本館10階大会議場で開催します。
時間は12時30分から16時30分の予定です。
はがきによるご案内は11月初旬にお手元にお届けします。
増田茂樹先生ご夫妻もご出席いただけます。
是非ご参加ください。
樹鵬会会長大塚泰久

69会(69年度生 体育会OB) ゴルフ親睦会

9月20日(木)茨城県龍ヶ崎市のゴルフ場において
ゴルフ親睦会を開催しました。
昭和59年から始まったこのゴルフ会も、今回で53回目
の開催となりました。(昭和63年から年2回開催)
昨年10月30日に開催した69会還暦祝賀パーティーで
の再会を機に、新たな参加者もありました。
首都圏在住会員の他に、遠路、新潟県、静岡県からの
参加者もあり、18名の参加者で盛況な会でした。
体力の衰えにより、ハーフを69でプレイする人もありま
すが、皆、学生時代に鍛えた運動能力が今も健在で
ハーフをパー(スコア36)でプレイする人もあります。
プレイ終了後のパーティーでは、母校や、出身クラブの
話題になり、母校の発展と現役学生の活躍を祈念し、、
来年1月の新年会での再会を約束して、散会しました。

  代表 大谷明 記

東京ヘボンクラブから9月例会のご案内です

今回は鵜殿博喜(うどのひろよし)新学長をお迎えして「明治学院大学の現状と今後の展開構想」というテーマで講演していただきます。

ヘボンクラブは明治学院関係者のどなたにも開かれたクラブです。
初めての方も大歓迎です。お友達を誘って是非ご参加下さい。
ご出席される方は9月14日までにお返事を頂けると幸いです。
出席者の状況はホームページで随時お知らせします。http://mg-hepburn-club.org

※なお10月には明学白金キャンパスに於いて世田谷支部合同で例会を持つ運びとなりました。こちらもご期待下さい。詳しくは上記WEBでご覧下さい。

鵜殿博喜新学長をお迎えしての例会開催日時、場所、会費は以下の通りです。↓
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日時 9月21日(金)18時30分(受付18時から)21時終了

場所 学士会館
千代田区神田錦町3-28
℡ 03-3292-5936

会費 4,000円 (一品料理、パン、コーヒー、デザート付)

アクセスマップ
http://www.gakushikaikan.co.jp/info/access.html

地下鉄都営三田線・新宿線、東京メトロ半蔵門線
「神保町」駅下車A9出口1分、
地下鉄「竹橋」駅から徒歩5分
「東京」駅北口からタクシーで10分

http://mg-hepburn-club.org

大磯町フィールドワーク歴史研究の補足説明と一部訂正

掲載内容に2点の誤りがありました。
ここに訂正と補足説明をさせていただきます。

・①島崎藤村が大磯に移り住んだ年
(誤)明治16年
(正)昭和16年
・②
(誤)山形有朋
(正)山県有朋

7月24日掲載の上記写真は旧林董(はやし ただす)邸前(現在は翠渓荘)。
下記写真は島崎藤村邸の中庭。
林董は終生、「私はヘボン塾の出身」と経歴に記して感謝していた。
また兄の松本順は佐藤泰然の次男で、大磯町の恩人となる。
昭和4年に偉大な功績を後世に伝えようと、町民有志によって照ヶ崎海岸に松本順謝恩碑が建立された。

旧林董(はやしただす)の紹介文(ウィキペディア百科事典)
董の孫・忠雄は三菱財閥の4代目総帥・岩崎小弥太の養嗣子となった。
忠雄の妻・淑子は旭硝子の創業者・岩崎俊弥の次女として生まれ、伯父・小弥太の養女となった。
忠雄が小弥太の婿養子となったことにより、林家は三菱の創業者一族・岩崎家と姻戚関係となる。
また、董の娘・菊は福澤諭吉の次男・捨次郎に嫁ぐ。

明学関係者の一人、中島 信行(なかじま のぶゆき)氏は、日本の政治家。男爵。
通称は作太郎。最初の妻は陸奥宗光の妹中島初穂(1877年死去)で、後妻は女性解放運動家の岸田俊子。
坂本龍馬の海援隊で活躍した。
龍馬の死後は陸援隊に参加する。
維新後は新政府に出仕し、外国官権判事や兵庫県判事を経て、ヨーロッパ留学。
その後は神奈川県令や元老院議官をつとめた。
自由民権運動が高まりを見せると、板垣退助らとともに自由党結成に参加して副総理となる。
第1回衆議院議員総選挙で神奈川県第5区から立候補して当選。
第1回帝国議会に於いて初代衆議院議長に選出されて就任。
その後は明治26年(1893年)にイタリア駐在特命全権公使、同27年(1894年)には貴族院議員に勅選。
明治29年(1896年)6月、維新の功により男爵を授けられる。
明治32年(1899年)、療養中の神奈川県大磯別邸にて死去。享年54。

大学不動産連盟総会に出席してきました

去る6月13日に帝国ホテルにて、大学不動産連盟総会が開催されました。
我が不動産白金会からも13名参加しました。
総会自体は、15大学、500名強の参加者でした。

今年は、当会が大学不動産連盟総会の準会員になります。
大学を超えて、不動産の案件や、士業の方の案件が成約しております。

白金会にご興味のある方は是非、白金会事務局幡野までご連絡ください。
よろしくお願いします。

連絡先
事務局 株式会社ファブリッジ 幡野(はたの)
電話:03-6672-3194
メール:hatano@fabridge.jp

神奈川県大磯町フィールドワーク歴史研究の報告

当会メンバー9名にて7月18日大磯町フィールドワーク研究を実施。
今回の企画とガイド役の海瀬春雄氏と中島教授とともに明治学院関係者の旧邸宅と明治時代に活躍した偉人邸宅跡などを含む40箇所を訪問しました。その時の写真2枚を掲載します。

旧林董(はやしただす)邸は明治28年に林董が作り居住した別荘である。佐藤泰然(順天堂大学創始者)の5男でありヘボン塾で学んだ後、英国留学、明治4 年~6年に岩倉使節団に随行。香川県・兵庫県知事を務め、駐英大使として日英同盟締結に活躍、外務大臣・逓信大臣などを務めた伯爵。
英国ドーバー海峡のプライトン臨時保養所、米国ロスのロングビーチの保養所を見て、大磯別荘地実現の原動力となる。

兄の松本順は長崎で西洋医学を学び、初代軍医総監となった。
大磯に日本で最初の海水浴場を開き、伊藤博文に働きかけ、大磯駅を明治20年に開設して、この地を有名にした恩人である。

島崎藤村邸は明治16年1月、左義長(大磯1月の祭り)を見に来て温暖な大磯の地が気に入り、2月より約2年半住む。
遺稿となる「東方の門」をここで執筆中、18年8月22日、71歳で逝去。
そのお墓は近くの地福寺に静子夫人とともにある。
昭和50年、大磯町の名誉町民となり、昭和56年に藤村邸が大磯町に寄付され平成8年秋より無料で一般公開、現在に至る。
明学関係では、初代衆議院議長の中島信行氏のお墓が大運寺にある。

明治とゆかりのある地、大磯町には旧伊藤博文邸・山形有朋邸跡・旧陸奥宗光・大隈重信邸・新島襄の終焉地(明治23年1月)、西園寺公望邸跡などもある。
大正に移り、原敬邸跡、昭和に移り、井上準之助邸などがある。
また日本の財閥系の旧岩崎邸と澤田美喜記念館・旧住友邸・旧三井養之助邸・旧安田邸・旧徳川邸がある。
現代では、旧吉田茂邸とともに、作家の石川達三邸・村上春樹邸などもある。

6月13日掲載築地フィールドワーク築地訪問時写真追加の件

①築地にある明学発祥記念碑写真追加。

明治学院名称の歴史を辿れば、1877年、プロテスタント3派により東京一致神学校が築地居留地に設立。
1880年、ヘボン塾が築地に移転し「築地大学校」と改称しました。
1883年、横浜の先志学校を併合して「一致英和学校」(大学と予備科)とさらに改称しました。
1886年、3校の東京一致神学校・一致英和学校・一致英和予備校が合併して「明治学院」となることを決定し、1887年東京府から正式に設置認可されました。

②6月14日掲載の築地居留地説明のスケッチ画追加。

外国人による当時の築地居留地全景の大変貴重なスケッチ画です。当時の様子が良くわかります。
中央右上あたりの隅田川付近の建物が、後の明治学院の名称になる学校群です。